vol.5 「おさな子」の未来を
100年研究し続ける日本一企業
ジャクエツ 徳本 達郎氏 × タナベ経営 若松 孝彦

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2016年3月号

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ジャクエツ 代表取締役社長 徳本 達郎氏(左)、タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(右)

 

創業から100年、保育用品の製造から園舎の設計まで「幼児教育」に特化して事業を日本一に育てたジャクエツ。ダイレクトマーケティングとオリジナル商品を核に、最良な「こども環境」を創造し続けるミッション経営の神髄を、代表取締役社長の徳本達郎氏に伺った。

 

 

福井で2番目の幼稚園を開園 教材事業で全国区へ

 

若松 ジャクエツは、幼稚園の運営から教材や遊具、園舎の設計まで、幅広く事業を展開されています。2015年に創業100周年を迎えられましたが、創業の経緯からお聞かせいただけますか。

 

徳本 私の祖父である徳本達雄は大学卒業後に敦賀に戻り、幼稚園の開設を目指しました。まだ福井県に最初の幼稚園ができたばかりの創革期。地元の有識者や資産家を訪ね、幼児教育の必要性を訴えて回るうちに、旧大和田銀行(現三菱東京UFJ銀行)頭取で商工会議所会頭だった大和田荘七(しょうしち)氏をはじめ、地元の有力者にご協力いただき、1916年に「早翠(さみどり)幼稚園」の開園にこぎ着けました。

 

若松 地域における幼児教育のパイオニアですね。社会課題を解決する形で事業を始められたところに社徳を感じます。教材事業へ参入されたきっかけを教えてください。

 

徳本 幼稚園を開いた当時は教材を扱う会社がなく、地元の名産である越前和紙を染めた色紙などの教材を自給自足のような形でつくっていました。次第に近隣の園からの依頼に応える形で提供するようになり、創業から10年足らずで各地に評判が広がったため、会員制販売に加えて通信販売のような形で事業をスタートさせました。

 

若松 幼児教育の普及振興というミッションのもと、事業を拡大されたのですね。

 

徳本 1933年には工場を新設して量産体制を整えました。しかし、太平洋戦争が勃発し、終戦間際の1945年7月に米国機の来襲で幼稚園も工場も全て焼失してしまいました。

 

若松 そのような状況の中、どのように事業を再開されたのですか。

 

徳本 終戦を迎えると、仮の工場を建てて事業を再開しました。戦争で夫を亡くした婦人の働く場として教材づくりを始めたのです。その後、敦賀市が住民救済事業の一環として設置した授産場の経営を委託され、そこで教材を製造。1949年には「株式会社若越」を設立し、教材事業は拡大していきました。

 

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(株)ジャクエツ 代表取締役社長
徳本 達郎(とくもと  たつろう)氏
1963年生まれ、福井県出身。86年、(株)若越(現ジャクエツ)に入社。2004年専務取締役を経て06年より現職。ジャクエツグループは、幼稚園・保育園施設の設計施工、教材・遊具といった保育用品の製造、情操教育の一環として園内に置く美術品も提供し、豊かな教育環境づくりを提案している。2015年に創業100周年を迎え、次の100年に向けて事業拡大を図る。

 

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