vol.16 創業300年。
近江商人の魂を今に引き継ぎ、
「人格」と「変化」で飛躍し続ける歴史企業
小泉 植本 勇氏 × タナベ経営 若松 孝彦

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2017年4月号

 

小泉本社にて。代表取締役会長 植本勇氏 (右)と、タナベ経営 代表取締役社長 若松孝彦(左)

 

 

1716年に創業し、今日ではアパレル(小泉)、照明や家具(小泉産業)、家電製品・家庭用品(小泉成器)など、多彩な事業を展開する小泉グループ。
グループ売上高2000億円。問屋業から出発し、商品や顧客に対する独自の付加価値創造で発展を続けている。
その歴史、経営信条やビジネス観について、代表取締役会長の植本勇氏に伺った。

 

同族経営からの脱皮で飛躍への道が拓けた

 

若松 創業300周年おめでとうございます。タナベ経営との長いご縁にも感謝を申し上げます。今回は、100年経営をはるかにしのぐ“300年経営対談”ですね。私は創業200年以上の会社を「歴史企業」と呼んでいます。会社を語るときに、日本や地域の歴史も語らなければならないからです。まさにその域に達した会社です。

 

植本 江戸時代、近江の国の武士だった小泉太兵衛が武士を捨て、1716(享保元)年に行商を始めたのが小泉グループのルーツです。その後、子孫が1847(弘化4)年に京都に出店して商いを広げ、さらに大阪に進出したのが146 年前の1871(明治4)年。歴史的にそうした大きな節目がありましたが、私自身はここに至るまでの300年という長さは、あまり意識したことがないのです。

 

若松 2016年秋、滋賀県東近江市で小泉グループの長い歩みを祝福する催しがあったとお聞きました。

 

植本 東近江市が運営する近江商人博物館で、小泉グループの中興の祖である第3代重助に焦点を当てた企画展が開催されました。2015年に旧重助邸が文化庁から登録有形文化財に指定されたこともあり、社内外であらためて300年の歩みが注目されたのは確かです。

 

若松 第3代重助氏とはどのような人だったのですか?

 

植本 太兵衛から数えて12代目に当たる人で、現在の小泉グループの実質創業者と言える人物です。実は、第3代重助までは200年近く同族経営が続いていました。大正初期の頃に生じた同族内のもめごとがきっかけで重助が大阪の出店を引き受けることになり、太平洋戦争後まもなく亡くなるまで、会社の礎を築き上げることに尽力しました。自らの経験が身に染みたのか、「長男を除いて経営陣を同族だけで固めるのはいけない」と最初に言ったのも重助です。

 

若松 現在の小泉グループ各社も、その言葉をしっかり守っているようですね。小泉と名が付くグループ会社でも、経営を執行する皆さんは非同族の方々です。

 

植本 当社が主力でやってきた繊維業界を見渡すと、名門であっても経営陣の半分以上を同族が占めている会社は、成長が止まっているところが多いのです。同族経営では会社の業績が悪化しても簡単にトップを代えられませんし、組織や事業の改革も進めにくい。小泉も旧態依然とした同族経営ではやがて生き残れなくなると、重助は見越していたのだと思います。

 

若松 歴史企業の臨床事例として聞くと、重みがありますね。植本会長も非同族で社長に就任され、これまで社内改革にさまざまな手腕を発揮されました。

 

植本 私は同族以外で2人目の社長になったのですが、社長になる以前に、もともと1つの会社で行っていた繊維事業を部門ごとに分社化することを推し進めました。呉服は京都小泉、服地は小泉テキスタイル、洋品は小泉アパレルというように。結果的に、本体の小泉はそれら子会社の経営を管理するような形になりました。上場こそしていませんけど、今日でいうホールディングスの形にして経営基盤を強化することに、多少なりとも貢献できたかもしれません。

 

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300年は単なる節目。「ぶれない軸」と「変化への挑戦」で、グループ一丸で次の100年を目指していきたい。

 

 

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