「品質は人質(じんしつ)」にこだわり、
屈強な企業をつくる
Vol.29 土屋ホールディングス × タナベ経営

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2018年2月号

 

「品質は人質(じんしつ)」にこだわり、
屈強な企業をつくる

2016 年オープンした鳴海モデルハウス(愛知県名古屋市)。暮らしの5 つの目的(遊ぶ、眠る、くつろぐ、学ぶ、食べる)を満たす住まいを提案

2016 年オープンした鳴海モデルハウス(愛知県名古屋市)。暮らしの5 つの目的(遊ぶ、眠る、くつろぐ、学ぶ、食べる)を満たす住まいを提案

 

スキージャンプ界のレジェンド、葛西紀明選手が所属することで知られる土屋ホームは、北海道を代表する住宅メーカーであり、全国展開を果たしている。
土屋グループ(土屋ホールディングス)を在来工法のトップ企業に育て上げた創業者・土屋公三氏は、「品質は人質(じんしつ)」という言葉を胸に人づくりへまい進。
社内外の人材育成を通じて磨き上げた人生哲学を次代に伝えている

 

土屋ホールディングス 創業者会長 土屋 公三氏 1941年、北海道生まれ。1969年土屋商事を創業。1976年丸三土屋建設(現土屋ホーム)設立。 2001年土屋ホーム代表取締役会長。2008年土屋ホームから土屋ホールディングスへ商号変更し、2011年同取締役会長、2017年創業者会長(現任)。企業や大学などでの講演多数。著書・監修に『不動産教室』『3KM生涯幸福設計』『使命感経営』など。土屋経営代表取締役社長、ノーマライゼーション住宅財団理事長、人間社長塾主宰。2008年黄綬褒章受章。

土屋ホールディングス 創業者会長 土屋 公三氏
1941年、北海道生まれ。1969年土屋商事を創業。1976年丸三土屋建設(現土屋ホーム)設立。
2001年土屋ホーム代表取締役会長。2008年土屋ホームから土屋ホールディングスへ商号変更し、2011年同取締役会長、2017年創業者会長(現任)。企業や大学などでの講演多数。著書・監修に『不動産教室』『3KM生涯幸福設計』『使命感経営』など。土屋経営代表取締役社長、ノーマライゼーション住宅財団理事長、人間社長塾主宰。2008年黄綬褒章受章。

 

使命感に目覚め経営を一心不乱に勉強

 

長尾 土屋会長は1969年に土屋商事を創業し、76年には土屋ホームとして住宅産業に参入。96年には、北海道の住宅不動産会社として、初の東京証券取引所第2部に上場を果たされました。

 

さらに2008年には、土屋ホールディングス(以下、土屋HD)を中心とする持ち株会社体制へ移行し、経営と事業を明確に分離して、経営資源の集中と再配分を展開してこられました。一代で北海道屈指の企業グループを築き上げた軌跡についてお聞かせください。

 

土屋 私は1959年に松下電器産業(現パナソニック)の採用試験に落ち、大手包装材メーカーに就職。そこで労働組合の書記長を経験したことが、自分自身の原点になっています。

 

その会社を辞めて不動産業に携わりましたが行き詰まり、将来の進路に悩んで、毎日、北海道神宮に参拝したこともありました。そんな時、おかしな話と思われるかもしれませんが、自分の名前から「『土』地と家『屋』でお客さま・社会・会社の“『三』つの『公』”のために、物質的・精神的・健康的な住宅を提供するのが使命」という天の声を聞き、使命感に目覚めたのです。そこで事業を立ち上げようと決意し、銀行に融資を申し出ますが、あえなく拒否されました。借金しなくても商売ができる方法を思案した末に、宅地建物取引士と損害保険代理店の資格を取得します。損保代理店の資格取得にはお金がかかりませんし、不動産の仲介は売りたい人と買いたい人をマッチングさせる事業であり、大きな元手は不要だと判断したからです。

 

その後も借金をしない経営に努め、今でも借入金ゼロ、手形ゼロ、自己資本比率60%です。

 

長尾 事業の立ち上げ時に借り入れできなかった経験が、健全な財務体質づくりに結び付いたのですね。タナベ経営との関係はどのように生まれたのですか。

 

土屋 田辺昇一先生の『経営の赤信号』(東洋経済新報社)発刊記念講演を北海道新聞社のホールで聴いたのが発端です。経営は初心者なので難しいことは分かりませんでしたが、商業高校出身なので財務諸表に関する話は理解できました。そこで田辺先生が述べられた「品質は人質(じんしつ)」という言葉を聞いて、「(労働組合での経験があるので)人の問題なら対応できる。財務も多少はできるから、経営をもっと勉強しよう」と思い、タナベ経営を訪ねました。

 

「イーグルクラブ」(現FCCアカデミー)という経営者向けの勉強会に参加したかったのですが、「法人でないと参加できない」と言われ、有限会社を設立。その後、「社長教室」という、よりハイレベルな勉強会に参加するために株式会社へ改組しました。タナベ経営の勉強会に参加するために、会社をつくったようなものです(笑)。

 

田辺先生との出会い以外にも、人の縁には恵まれました。例えば、ある競合他社の現場見学会に参加した時、同じ年齢の業界紙の記者と知り合い、「紹介したい人がいるから、会ってみないか」と言われたのがきっかけで、住まいのクワザワ(札幌市)の元取締役建築部長と出会いました。その人柄と博学を見込んで指導を仰ぐようになり、後に専務として迎え入れました。

 

長尾 土屋会長の行動力が結んだ縁ですね。田辺昇一は「人生は遺伝、偶然、意志、環境」とよく言っていました。土屋会長はそれを体現されています。

 

土屋 事業は順調に伸び、創業から8年で売上高100億円を達成しました。その勢いでFC(フランチャイズチェーン)を構えて100カ所以上の拠点を設けたり、地元工務店と合弁会社を立ち上げたりしますが、時代を先取りした省エネ提案は当時受け入れられず、不振に終わってしまいます。

 

長尾 そのような逆境を乗り越えて成長してこられました。多産多死の住宅・不動産業界にあってもつぶれず、創業から4代も続いている要因は何だとお考えでしょうか。

 

土屋 まず、天の声に導かれた使命感があったこと。次にタナベ経営で一生懸命に勉強したことですね。

 

長尾 手前みそになりますが、『経営の赤信号』を読んで経営に活用された効果は大きいと思います。営業と財務の両方を知っておられたことも大きいですね。そして、正直な経営に徹しておられます。

 

土屋 父親は近衛兵出身の大変厳しい人でしたから、その影響が強いと思います。「強く、正しく、明るく、美しく、堂々の人生を」という土屋家の家訓の下で、正義感が培われました。正直な経営を標榜する一環として財務面の潔癖さにこだわり、現在は七重に及ぶチェックシステムを設けています。

 

長尾 事業が成長したポイントは、「使命感」「正直な経営」「健全な財務」であり、それに「人材育成」が加わると思います。土屋会長は人づくりに多大なエネルギーを注いでおられますが、その想いはどこからきているのですか?

 

土屋 やはり、田辺先生の「品質は人質」という教えですね。正直、学歴へのコンプレックスもありましたから、会社を立ち上げて以来、経営に関しては貪欲に勉強してきました。師と仰ぐ方は100名ほどいらっしゃいますが、その中で田辺先生は一番接点があり、何度も指導を受けました。

 

 

お客さま・社会・会社の3つの「人」と「公」を象徴する土屋グループのシンボルマーク

お客さま・社会・会社の3つの「人」と「公」を象徴する土屋グループのシンボルマーク

 

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