Vol.5 ビジネスモデルイノベーション編
新潟クボタ × タナベ経営

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新潟クボタ
代表取締役社長 吉田 至夫 氏

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タナベ経営
コンサルティング戦略本部 新潟支社長 遠藤 俊一

 


 

高度成長の黎明期に創業 紆余曲折の末に多角化へ

 

 

遠藤 新潟クボタの今日までの歴史や成長の過程についてお聞かせください。

 

吉田 当社は1964年、新潟の農機販売会社4社が久保田鉄工(現クボタ)の資本参加を得て合同で設立した企業です。この年は東京オリンピックが開催され、日本の高度成長が本格的に始まろうとしていた頃で、当社も農業の近代化と機械化の波に乗って設立当初から順調に発展。第1次オイルショックの73年には食料不足の不安から農機ブームが起き、そこから数年間は毎年売上高が倍増していくような急成長を遂げることができました。

 

 ところが、農家の生産性向上の一方で国の減反政策が始まったことにより、やがて年間100億円くらいをピークに売上高が頭打ちになったのです。1970年代後半からは、売り上げ横ばいと経費増で利益率が下がる低迷期がしばらく続きました。このままではいけないと、当時営業本部長だった私は、元号が昭和から平成に変わった89年を機に、自社の新しい事業計画を立案。農機販売だけではない、事業の多角化に取り組み始めました。

 

 目を付けたのは、農家の視点に立った事業施策の数々です。1993年の大冷害によりコメ不足となり、米価高騰で農機が飛ぶように売れて国内最高出荷額を記録したこともありましたが、必ず反動で売れなくなると予測して多角化を推し進めました。農機の整備サービスやコメの輸出といった今日の当社にとってエポックメーキングな事業は、この時期に着眼したことです。

 

遠藤 農機の整備サービス事業にはかなり大きな投資をされたそうですね。

 

吉田 1996年に敷地面積7000坪の大型サービス拠点「中央サービスセンター」を新潟市秋葉区に開設しました。建設に当たっては当時の年間粗利益額を大きく超える投資が必要になり、親会社のクボタから相当な危機感をもって見られました。悪いことに、米価急落と減反再開がほぼ同時期に重なって本業の農機販売が落ち込み、翌97年は創業以来最大の赤字を計上してしまいました。

 

 しかしその後、懸命に再建計画を練り、借入金と在庫の削減に重点を置いて各事業にまい進した結果、どうにか経営を立て直して現在に至っているわけです。

 

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