Vol.11 多良川 × タナベ経営

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2016年8月号

 

使命は「明日の活力になる事業」

郷土の自然を守り生かし、付加価値を追求して高収益を実現

 

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古酒をベースに造り上げる『琉球王朝』には固定ファンも多い(左) 辛口ながら麹(こうじ)の香りが豊かに広がる『多良川ブラウン』(右)

 

自己資本比率が約80%という強固な財務基盤を持つ琉球泡盛メーカーの多良川(たらがわ)。
沖縄県の離島、宮古島に本社を置く同社の躍進を支えるのは、手厚い待遇と活発な意見交換による「人づくり」と、業界の常識にとらわれない自由闊達(かったつ)な「商品づくり」である。

 

 

 

古酒の常識を覆す『琉球王朝』で成長

 

比嘉 まずは、多良川の事業概要をお聞かせください。

 

砂川(すながわ) 沖縄本島から南西へ飛行機で45分ほどのところに宮古島があります。その島の南東に位置する城辺町(ぐすくべちょう)砂川(うるか)(現宮古島市城辺字砂川)で、1948(昭和23)年に祖父が多良川酒造所を創業し、泡盛の醸造を始めました。当初は従業員5名ほどの家内工業的な会社だったそうです。

 

1980年に有限会社多良川酒造、1992年には株式会社多良川へ改組。2016年3月期の年間製造高は1升瓶に換算して33万本。年間販売高は32万本。貯蔵酒現在量は113万本です。従業員数はパートナー社員を合わせて41名。宮古島本社工場のほか、沖縄本島に玉城(たまぐすく)工場(南城市)と那覇支社があります。

 

2003年には、本社工場の近くにある洞窟をお客さま用の泡盛貯蔵庫とし、「ういぴゃーうぷうす蔵(※1)」と名付けました。お客さまが購入された泡盛を5年間寝かせ、「古酒(クースー)」へ熟成。誕生日や結婚記念、新築記念などの祝い事の席で振る舞う酒として好評を博しています。
※1 「ういぴゃー」は地名。「うぷうす」は「大きな穴」。「ういぴゃー森の大きな洞穴」といった意味

 

比嘉 多良川が大きく躍進された要因は何ですか?

 

砂川 きっかけになったのは、1986年に発売、2016年に30周年を迎えた古酒『琉球王朝』です。当時の泡盛業界において、古酒は「アルコール43度の高級品」という概念が確立していました。いわば、消費者にとって敷居の高い商品だったのです。しかし、古酒の良さをもっと広めたいという思いから、度数を30度に落とし、価格を抑えて発売。また、1升瓶が主流の時代でしたが、当時居酒屋で普及し始めていた卓上型の4合瓶を採用しました。

 

市場の評価は「味のバランスが良い」と上々で、宮古島はもちろん沖縄本島の南部までファンが広がり、売り上げを順調に伸ばしました。この琉球王朝のヒットが、当社を成長軌道に乗せたといえます。

 

比嘉 古酒のアルコール度数を43度から30度に変更することに対して、業界からの反発はなかったのでしょうか?

 

砂川 競合他社から「そんなことをすると古酒の価値が下がる」「43度でも十分売れる」などの非難の声が上がったそうです。しかし、当時の社長(現取締役会長・砂川佳一氏)は、強い意志をもって発売を敢行しました。

 

また、業界の先陣を切って『琉球王朝』のテレビCMを放映。沖縄本島でのニーズを高める一助になりました。

 

比嘉 多良川が成長した要因を3つにまとめると、1つ目は古酒に対する業界の常識を打ち破ったことが挙げられます。2つ目は30度の古酒を造ることで新たなマーケットを開発したこと。3つ目は周囲の非難に動じず商品開発を行ったことです。これらは学ぶべき点だと感じます。

 

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洞窟貯蔵庫「ういぴゃーうぷうす蔵」。 洞窟の中には全国の顧客から預かった泡盛が保管され、熟成の時を待っている

 

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