Vol.20 ハヤブサ × タナベ経営

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2017年5月号

 

海外生産でコストと品質を管理

 

松本 早い段階から海外生産を進められています。海外展開を進めたきっかけは?

 

歯朶 創業当初は国内の内職の方々に手作業で作ってもらっていましたが、コストの問題もあって海外に生産拠点を移しました。まずは韓国、次いで中国に進出。その後、中国の人件費高騰を受けてインドに進出しましたが、衛生面や納期面などさまざまな課題があり、23年前にベトナムに工場を移転しました。

 

松本 現在は、ベトナムの自社工場を生産拠点とされています。

 

歯朶 父は状況に応じて工場を次々移転させましたが、夫は海外工場の立ち上げ経験から「工場は固定すべき」という考え方でした。工場を移転すれば、職人が持つノウハウは途切れてしまいますから。ベトナム工場は、国営のナッツ工場を400名ほどの職人も含めて借り受ける形でスタートし、2007年に自社工場としました。日本国内に仕掛を作れる職人はもういませんから、その意味でもベトナムは貴重な生産拠点です。ただ、経済発展を遂げる中、人件費は当初の10倍以上に高騰しており、対策が必要です。

 

御堂 2代目の崇氏が急逝されて社長を引き継がれましたが、直後にリーマン・ショックと東日本大震災が起こり、厳しい状況が続きました。

 

歯朶 当時は経理の立場で会社を見ていましたが、自分が社長になるなど思ってもみませんでしたから、とにかく不安でしたね。特に影響が大きかったのは、東日本大震災でした。海辺で起こった震災によって釣り業界の売り上げは激減し、工場を縮小すべきか継続するべきか、非常に迷いました。

 

御堂 他社は海外にある提携工場への発注を控えるなどして手を打っていましたが、その逆の道を進まれましたね。

 

歯朶 国内市場は冷え込んでおり、製品を作り続ければ多くの在庫を抱えることになる。しかし、リストラによって職人がいなくなれば今後製品が作れなくなる―。最終的にベトナム工場の継続を決断しましたが、震災から1カ月半ほどは最低賃金を保証しつつ、一部の職人に休んでもらったり、工場を清掃してもらったりして乗り切りました。その間は会社も大変でしたが、職人たちもよく我慢してくれたと感謝しています。

その年、ベトナムの職人から「日本の復興に役立ててほしい」と寄付金を渡されました。当時の給与は月1万円ほどでしたが、少ない給与の中からみんなでお金を出し合って集めたそうで、胸を打たれましたね。その時、「人を大事にしてきたからこそ」と心底思いました。父の時代から職人を大事にしてきたことによって、国境を越えたつながりが生まれていることを、身をもって実感しました。

そのかいがあり、今では自社生産が強みの1つになり、同業界内へOEM供給も行うほど、釣り業界にとってなくてはならない工場になっていると思います。

 

 

ベトナム工場

ベトナム工場

 

 

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