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今週のひとこと

どちらを向いて走るのか、

ゴールをはっきり示し、

社員一人ひとりを結集させよう。





◆「7つのステップ」で現場を改善

A社は30の店舗を展開するサービス業です。どのようにすれば、「すべての店舗でルールを徹底できるか」、「もっと良いサービスを提供できるか」というお問い合わせを頂いたのがきっかけでコンサルティングがスタートしました。

サービス業や小売り業などでは、それぞれの店舗によって運営方法が異なることが多いのが実情です。
A社のコンサルティングでも、まずは、すべての店舗を訪問し、1店舗ずつ現状を把握していきました。そこで分かったことは、昔からのやり方がそのまま継続されていたり、店長の考えでやり方を変えたり、店舗の立地やお客様の特性に応じたサービス展開をしたりと、独自のやり方で運営している店舗が多いということでした。


そこで、A社ではプロジェクトチームをつくり、次の7つのステップで、店舗運営の改善を進めることにしました。

◆ステップ1・・・現状を認識・把握する(課題を明確にする)
◆ステップ2・・・目指す企業(店舗)像を決める(どのような姿か)
◆ステップ3・・・中期ビジョンを描く(いつまでに)
◆ステップ4・・・中期経営計画をつくる
◆ステップ5・・・ビジョン・中期経営計画を実現するための戦略をつくる
◆ステップ6・・・戦略に対応するための組織体制を確立する
◆ステップ7・・・重点実施項目を決め、実行する


まだまだ、道半ばではありますが、これらのステップを全店舗で共有することで、働く社員の皆さんが同じ思いでお客様に接するようになり、サービスレベルは向上しています。

皆さんの会社でも、現場の状況に合わせ、「7つの改善ステップ」を取り組んでみてください。


コンサルティング戦略本部
チーフコンサルタント
水谷 好伸





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久原本家グループ本社 代表取締役社長 河邉 哲司氏(左)、タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(右)

ブランドを磨き、感動を創造ー変化と成長を続ける100年企業

「茅乃舎(かやのや)」ブランドをはじめ複数のブランド事業を展開し、成長を続ける総合食品メーカー、久原本家グループ。そのルーツは創業120年を超える醤油(しょうゆ)蔵にさかのぼる。風前の灯(ともしび)だった家業を、優れたリーダーシップで変化と成長へと導いたのが4代目の河邉哲司氏だ。時代の荒波を越えて100年の暖簾(のれん)を守った今、さらに200年企業を目指すには何が大切なのか。河邉氏に持続的成長への思いを伺った。




「挑戦あるのみ」で超えた家業の枠

若松 久原本家は2016年に創業123年を迎えられます。めんたいこブランド「椒房庵(しょぼうあん)」、化学調味料・保存料無添加を主とした調味料ブランド「茅乃舎」、『キャベツのうまたれ』などの調味料を販売する「くばら」など複数のブランドを展開され、現在は売上高163億円(連結、2015年6月期)、従業員数850名(グループ計、2015年6月30日現在)ですが、河邉社長が入社された当時はどのような会社だったのでしょうか。

河邉 大学卒業後に入社したとき、売上高は6300万円、経常利益120万円、従業員数6名でした。実は、私はずっと「継ぎたくない」と言っていました。その理由は、会社の規模ではなく、事業自体が問題だと思っていたことが大きかったです。子どもながらに、醤油を自分たちでつくって瓶詰めし、トラックに載せて1軒ずつ配達するという事業が伸びるとは感じていませんでした。

若松 企業は「生業→家業→企業」と成長していきますが、引き継がれた当時は、まさに「家業」の会社だったわけですね。なぜ家業を継ぐ決心をされたのですか。

河邉 当時、福岡には150ほどの醤油屋があり、大手以外はほぼ家内工業で、当社の規模でも中位でした。初代が醤油屋を立ち上げ、2代目が財を成しつつも戦争で販路が絶たれ、3代目は戦死、2代目の次男だった父が3代目として急きょ登板し、苦しい時代を乗り切ったのを見て、正直、「醤油屋家業をやめてしまえばいいのに」と思っていました。しかし、アイデアを形にして商いをすることは好きでしたので、結局は承継したのです。

若松 先代としては、河邉社長が会社を継いでくれて、うれしかったでしょうね。入社してから社長に就任するまで、経営に関わっていく上での転換期をお聞かせください。

河邉 入社当時、福岡・久山町で当社の醤油は6割くらいのシェアを占めていたのではないでしょうか。しかし、せっかく継いだのだから売り上げを上げたいと友人の家を訪ねても、「醤油は昔からの醤油屋さんとのつながりで買っているから替えられない」と断られるばかり。そこで父に修業に行かせてくれと頼んだのですが、「お前が修業から帰ってくる頃には会社がつぶれているから無駄だ」と断られました。

若松 当時は「河邉社長の若い発想や力が必要だ」と思われたのでしょうね。

河邉 そうかもしれません。ただ挑戦あるのみでした。一般家庭がダメなら次は業務用だと、拡大中だった郊外型レストランに目を付け、新しいうどん店やラーメン店ができそうになったら即座に売り込みに行きました。その頃、当社は薄口醤油を1本368円で販売していましたが、福岡の大手醤油メーカーはもっと安く、他県の大手メーカーはそれよりさらに安い価格で市場に出していました。有名メーカーが安く、無名メーカーが高いわけですから、全く勝ち目はありませんでした。

そこで、醤油にこだわらず、醤油ベースのタレをつくったらどうかと考え、OEMでギョーザのタレ事業に挑戦しました。当時、タレは主に専業メーカーがつくっており、醤油メーカーはほとんど動いていませんでした。折しもスーパーマーケットが増え、総菜コーナーが充実してきた時代です。家庭でつくっていたギョーザがスーパーに並ぶようになってタレの需要が増え、ビジネスチャンスが広がっていったのです。OEMによる売り上げはどんどん伸びて、会社も急成長していきました。

若松 戦略は現場から生まれたものでなければ、うまくいきません。まさに挑戦し続ける率先垂範の行動力や多くの失敗経験が、今のビジネスセンス、ビジネスモデルへと昇華したのですね。

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素材の持ち味を生かした「茅乃舎」ブランドの商品


「アイデアを形に」が変化の原動力

若松 家業を家業のままで終わらせる会社もあれば、久原本家のように家業をどう発展させるかと考える会社もあります。私は拙著『100年経営』(ダイヤモンド社)で、「変化を経営する会社こそが100年企業になる」と提言し、どう変化していくかの大切さを説いています。河邉社長も、自社が成長を続けるためには変化せざるを得ない、という思いが強かったのでしょうか。

河邉 私はただ、仕事がすごく好きだったのです(笑)。先ほども言った通り、アイデアを形にすることが楽しくて。もちろん、会社が成長するほど危機感が生まれ、変化せざるを得ない要素も多く出てきました。

若松 失敗の経験からもビジネスセンスを磨き、現場で事業戦略のヒントを得てこられたのですね。当時、先代からはどのようなアドバイスがありましたか。

河邉 父はよく「将来も続く会社にならなければいけない」と言っていました。入社当時、値が張るコメや酒の小売免許を取得して売っていこうとこっそり計画していた際、父からは「醤油屋もできない人間に何ができるのか」と一喝されました。今なら、父の言葉が正しかったと分かります。一時的に売り上げが上がっても、長く続く会社には決してならなかったでしょう。実はめんたいこ事業も、だし事業も、父のアイデアです。私は父が亡くなって41歳で社長に就任しましたが、非常に良い形で私に承継してくれました。

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(株)久原本家グループ本社
代表取締役社長 河邉 哲司(かわべ てつじ)氏
1955年福岡県久山町生まれ。78年、福岡大学商学部貿易学科卒業。同年、家業である醤油製造販売会社に入社。醤油中心の事業から加工調味料へと事業を転換し、精力的な営業活動で業績を伸ばす。以降、「椒房庵」「くばら」をはじめ、素材にこだわった食品ブランドを立ち上げるほか、自然食レストラン「茅乃舎」を運営。「モノ言わぬモノにモノ言わすモノづくり」の信念のもと、創業から120余年を経た久原本家グループの社主として、人の心と手間をかけた"本物"のモノづくりを追求している。


ブランド価値を高めるビジネスモデルを構築

若松 初の自社ブランドビジネス、めんたいこの椒房庵は、どのようにスタートされたのですか。

河邉 タレのOEMで会社は成長しましたが、OEMはいつなくなるか分からないため、自社ブランドが必須だと以前から考えていました。そこで、めんたいこのブランド化に挑戦したのです。本場・福岡での最後発のスタートでしたから、原卵も北海道から良いものを仕入れるなどこだわり抜きました。赤字も続きましたが、ここで学んだことは非常に大きかったですね。

 販売は地場の百貨店で始めました。驚いたのは全国から注文が相次いだことです。顧客の間でおいしいとのクチコミが広がり、おのずと通販が伸びていきました。直販店と通販、2つのチャネルで商品を販売したことが勉強になり、その成果が茅乃舎ブランドに結び付いたのです。

若松 中堅企業のビジネスモデルを見ていると、下請け、OEM、自社ブランド開発と成長過程を経ています。持続的成長を果たそうとすると、自社ブランドと向き合うときが必ず来ます。「何としても自社ブランドを持つ会社にしなければ」という河邉社長の使命感を感じます。

河邉 食品メーカーは、自社の製品をほとんど卸や食品工場に販売しています。しかし、流通だけで採算を取るのは非常に難しい。だから、大手と同じことをするのではなく、独自のビジネスモデルをつくることが大切で、それが「久原ブランド」につながっていると思っています。

若松 売上高はターゲットとなる市場規模で決まります。売上規模以上に自社ブランドの「ファーストコール化」(顧客から一番に選ばれること)を優先することで、経常利益率10%を実現できる独自のビジネスモデルになります。売上規模はそれらの結果と考えるべきです。

河邉 茅乃舎は通販から始めたブランドですが、実店舗を増やし、2年前に売り上げが通販4割、店舗6割に逆転しました。とはいえ、食品メーカーが、食品の通販で約4割の売り上げを持っているのは、極めてまれなビジネスモデルだと思います。これこそが当社の独自性です。

若松 今後ますますネット通販は拡大するでしょうから、そのチャネルを現時点で持っている価値は大きいですね。2015年、本誌で「地域に密着してリージョナル(地域的)にマーケットを展開することが、最終的にはグローバル戦略になる」という話を松井忠三氏(良品計画の前代表取締役会長)と交わしました。実店舗と通販の2つを結び付けるバランス、顧客密着モデルが独自性のポイントになりますね。

河邉 現在、全国に15店舗を展開しています。2016年には目標の20店舗を達成する予定ですが、あまり多店舗展開はしたくありません。さらなる成長のためには、いかに「本物」を追求できるかが大切。小規模ならではのブランドビジネスを行いたいのです。

 そのためには、「少し価格は高いけれど、おいしい」と感動してもらえるかどうかが肝要となります。あちらこちらでは販売せずに、きちんと定価で売る――。つまり、ブランド価値を高めるビジネスモデルをつくっていきたいのです。

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福岡県・久山町にある「レストラン茅乃舎」。
大きな茅葺き屋根が山里の風景に溶け込んでいる


オンリーワンのモノづくりで感動を創造

若松 当社の創業者・田辺昇一は、「良い店は客を変えない、良い客は店を変えない」とよく言っていました。久原本家は実店舗と通販の両方で、真に顧客密着のリージョナルなビジネスモデルをつくれるのではないでしょうか。実現すれば、類似店が現れても顧客は離れません。

河邉 当社はお客さまとの関係性をもっと強くしていかなければなりません。実店舗においては接客も重要ですが、「久原本家でないと」といわれるようなオンリーワンのモノづくりを徹底的に行っていくつもりです。

 ここで直販の良さが発揮されます。流通に乗せると、普通は1年の賞味期限が必要でしょう。しかし、直販だと賞味期限が短くても商品を提供できます。おいしさや感動の違いは明白ですよね。そこにビジネスチャンスがあると思っています。

若松 現在、企業には、ソリューション価値を提供できるか、つまり顧客が抱える課題を解決できるところまで商品・サービスの価値を高められるかという課題があると同時に、「感動」という価値の創造も求められています。福岡という地域から感動を生み出している久原本家の今後のビジョンを教えてください。

河邉 さらに新しいブランド事業を創造しようと考えています。あとは海外進出です。2016年の夏、ベトナムにレストランを出店する予定です。これからも、さまざまなことに挑戦し、良いこと、悪いことをしっかりと整理した上で、後進に道を譲ろうと思います。それが久原本家の次なる100年の礎となるでしょう。

若松 私たちはコンサルティングの経験から「ファーストコールカンパニーはナンバーワンブランド事業を創造し続ける会社」と提言しています。「戦略は実行」です。組織規模が大きくなってくると、ブランド価値を保つためにも、社員の皆さんの実行力がますます重要になってきますね。

河邉 従業員に対しては、とにかく感謝の一言です。「売り上げが伸びても決してそこに甘んじることなく、お客さま目線で『当たり前』以上に接するように」と言い続けています。

若松 最後に、社長という仕事に対する思いをお聞かせください。

河邉 社長の役割は2つあります。1つは先頭で旗を立てて走っていく。もう1つは後ろから皆をグッと支えていく。引っ張り、押して支える、両方が必要です。新しく入社する社員を「わが家へようこそ」と歓迎する会社でありたいと願っています。

若松 私は「神の導き、仏の後押し型のリーダーシップ」と呼んでいますが、大変共感します。その企業文化を150年、200年と続け、より醸成されることを祈念いたします。本日はありがとうございました。

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(株)タナベ経営 代表取締役社長
若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。関西学院大学大学院(経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。





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共に歩むことで価値あるノベルティーを

トラックを中心に商用車業界で革新的な取り組みを続けるUDトラックス。同社は社名変更に伴い、メーン顧客の中高年男性をターゲットにしたノベルティーグッズのリニューアルを企画。タナベ経営との共同作業により、価値あるアイテムづくりで成果を挙げている。

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マウスパッドやノートカバー、卓上時計、キー リングなどのノベルティーグッズ。サプライヤー や素材にこだわり、「手元に置きたくなる、使 いたくなるアイテムづくり」に取り組んでいる

旧日産ディーゼル工業からの社名変更(2010年)に伴い、顧客目線を重視したノベルティーグッズへ一新したUDトラックス。
同社は2016年春、グッズを効率的かつ短納期で提供できる新システムを稼働させる。
グッズ製作の見直しからオーダーシステム導入というフェーズに進んだ経緯と課題について、同社の販促用品担当者である河合寛氏に話を伺った。



UDエクスぺリエンス・センターの役割

UDトラックスは、「キャブ付きシャシー」と呼ばれるトラックのフレーム部分を製造販売している。80年を超える歴史(1935年創業)を有し、『Quon(クオン)』『Condor(コンドル)』『KAZET(カゼット)』といった主力製品を軸に、「究極の信頼(Ultimate Dependability = UD)」を実現するため革新的な取り組みを行ってきた。

積載量11トンのトラック(「6TW」、1958年)や直噴式ターボエンジン(「PD6Tエンジン」、71年)を国内で初めて実現したほか、世界初の商用レーザーレーダー追突防止装置「トラフィックアイ」(89年)、24時間365日で対応するコールセンター「UDロードサポート」(2015年)など、製品・サービスの革新的開発を進めている。

革新的なのは製品やサービスだけではない。本社でもある上尾工場(埼玉県)は、1997年に国内の大型トラック工場で初めてISO9002を取得。また2015年、上尾工場のテストコース内に同社の歴史や整備・アフターサービスを紹介する施設「UDエクスぺリエンス・センター」をオープンした。

同社UDエクスペリエンスの河合寛氏は、ノベルティーグッズ開発の中心人物である一方、UDエクスペリエンス・センターでの工場見学やトラック試乗、展示物を通して同社の歴史を紹介する独自プログラム「UDエクスペリエンス」のレセプションも担当する。

「当社ではトラックの荷台部分といった架装物を製造していないため、架装メーカーとの共同作業が不可欠です。だからこそ常にコミュニケーションを何よりも大切にしています」と河合氏。同センターがコミュニケーションの場として果たす役割は大きいと話す。

UDトラックス(株)UD エクスペリエンス  河合 寛氏
UDトラックス㈱UD エクスペリエンス 
河合 寛氏


ありきたりなグッズからの脱却

同社は2007年、日産グループから離れ、スウェーデンのボルボ・グループの子会社となった。そして社名を現在のものへ変更すると同時に、ノベルティーグッズの一新を図った。その際、河合氏はタナベ経営のカタログを見て、「価値あるアイテム提案が可能ではないか」と感じたという。

同社にとって、ノベルティーグッズは重要なコミュニケーションツールという位置付けだ。しかし過去のアイテムは、ボールペンやボックスティッシュなど、低コストで量産できるものが主であった。

「なるべく安価で目立ち、たくさん配れるものにしたい」というのは、ノベルティーグッズに対する企業共通のニーズである。だが、結果として顧客の印象に残りにくいグッズが完成する。また、コストを安く抑えるため一度に大量生産を行うことから、在庫リスクが常に伴うというパターンに陥ることが多い。

予算を投じる以上、売り上げやCS(顧客満足度)向上に貢献するノベルティーグッズであることが理想だが、それを顧客が受け取ることでいくら売り上げが上がったのかは数値で判断しにくいのも事実である。

同社はノベルティーグッズづくりにおいて、「受け取るお客さまは誰なのか」、すなわち顧客目線を持つことに重点を置いた。そして米国レザーマン社製の多機能ツールや、皮をあしらったキーリングなど、高級感あふれるアイテムを開発した。

「当社のお客さまのほとんどが、購入決定権を持つ経営者クラスの方々や、ドライバーさんたちです。ある程度、年齢の高い男性が多いので、多少コスト高になっても、大人の男性が持って遜色のない重厚感を特に意識しています」(河合氏)

UDトラックスの海外向けトラック『Quester(クエスター)』
UDトラックスの海外向けトラック『Quester(クエスター)』


サプライヤー任せにしたくない

現在、同社はタナベ経営を含めた数社にノベルティーグッズをオーダーしている。サプライヤーの選定においては、信頼関係を築きながら共に歩むという姿勢を崩さない。

「案件があるたびにサプライヤーを変えるといった、その場限りの対応では根本的な課題の解決につながりません。私たち発注側は、自分たちの要求に的確に対応してくれるサプライヤーを厳選する力を養い、共に歩み、汗をかいて努力すべきです」(河合氏)

中でも、タナベ経営との関係は5年以上継続している。河合氏に、タナベ経営に依頼するメリットを聞くと、「コンプライアンス意識の高さ」が挙がった。

「このアイテムにロゴを入れたい」といったピンポイントオーダーが可能な点や、皮革製品の委託工場(香港)を通じて小ロットでもオリジナルグッズを作成できる点はメリットだが、製品によっては他社の方が安く、より短納期の場合もある。

「しかし、安ければ良いわけではありません。ビジネスパートナーとして信頼できるだけのコンプライアンスへの意識の高さがなければ、取引をすることはできませんし、それこそがタナベ経営のコア・コンピタンスだと感じています」(河合氏)

左から河合氏、タナベ経営 庄田、吉岡
左から河合氏、タナベ経営 庄田、吉岡


課題は効率的なシステムづくり

UDトラックスとタナベ経営の共同作業は、次のステージへと進化し始めている。

ノベルティーグッズの製作で悩ましいのは、前述した通り、在庫を抱えてしまうことだ。UDトラックスが製作したグッズは、同社の販売会社が必要に応じて購入する。そのため、よく売れるものと、あまり売れないものが出てしまうのだ。

そこで同社が新たに導入したのが、「この指とまれシステム」と呼ばれる仕組みである。イントラネット上でグッズの写真や内容、ロット当たりの価格などが閲覧できるため、販売会社は必要に応じて発注できる。小ロットかつ短納期で対応できるのが大きな特徴で、2016年2月から本格的に稼働を始めた。

このシステムを導入することにより、各販売会社の営業担当者からの注文に迅速に対応できるだけでなく、注文状況を常に把握し、動向をデータ化しながらニーズをくみ取ることができる。そして何より、在庫リスクを軽減できるというメリットは大きい。

河合氏は「この指とまれシステム」をベースに、ノベルティーグッズ製作に伴う作業の効率化を図りながら、アイテムを増やしていきたいと考えている。

「今後は、客観的な判断基準となる数値データをもとにしたアイテムの動向調査にも力を入れたいです。そうした数値データの分析は、コンサルティング会社の得意とするところではないでしょうか。当社の顧客である営業担当者にも納得してもらえるような明確な指針づくり、判断基準となるデータづくりに力添えをいただきたいですね」(河合氏)


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製作に当たっては、グッズを扱う現場担当の方々の意見を聞き、おのおののステークホルダーに納得いただけるよう、費用対効果が高い作品づくりを追求しました。お客さまの求める「高品質かつシンプルなデザイン」というコンセプトの具現化に特にこだわり、活用度の高いグッズが完成しました。今回のように社名変更に合わせたノベルティーグッズ製作は、新社名や企業イメージの周知にも大変効果的です。
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    担当:タナベコンサルティング 戦略総合研究所