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今週のひとこと

数字を読めない幹部は失格である。

数字から打つべき手を読み取ろう。





◆数字でチームをマネジメントする

今回は、タナベ経営のセミナーを受講いただいた、A社の営業部のマネジャーから受けた相談内容をもとに、メールマガジンとしてお伝えします。

A社の営業本部長から、「取引額の少ない顧客だけを営業活動していても非効率なので訪問しても業績はあがらない。取引額の多い顧客に絞って営業活動するように」という指示が出ました。
確かに、売上は落ち込んできており、営業本部長の指示どおりに活動したほうが業績は改善するのかもしれません。


その指示を受けて、ある若手営業社員が「たとえ取引額の少ない顧客であっても良好な関係が築けている。そのような顧客を大切にしたい」。そして、「引き続き営業活動を行ないたい」と、営業部のマネジャーであるこの受講生のところに相談に来たそうです。

さて、あなたならどう答えますか?

もちろん、営業本部長の言うとおり「取引額の多い顧客だけを訪問しなさい」と言うことは簡単ですが、マネジャーとしてどのように対応すればよいのでしょうか。

一例としてマーケティングでよく活用されるRFM分析があります。
RFM分析では 最終購入日(Recency)購入頻度(Frequency)累計購買金額(Monetary)から顧客のランク付けをするものです。たとえ、一回あたりの購買金額が少なくとも購入頻度が高く、直近での取引実績があり、そして累計の購入金額が多ければ優良顧客、つまり「ロイヤルカスタマー」である可能性があります。そうであれば定期的に訪問し、顧客との良い関係性を維持したほうがよいでしょう。


このRFMに基準を設け、判断基準を明確に打ち出すことで、科学的な営業活動が可能となります。「目標値を設定し、それを超えていれば訪問を継続。そうでなければ訪問は控え、電話やメールでのフォローに切り替えてはどうですか」と、私はこのセミナー受講生にアドバイスをしました。
営業部門以外にも、チーム内での判断基準を明確にする数字・指標は数多く存在します。


時には勘や経験も必要かもしれませんが、やはり数字はウソをつきません。マネジャーとしては、数字でチームをマネジメントすることが大切ではないでしょうか。

コンサルティング戦略本部
コンサルタント
大金 雄一郎





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タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(左)、トンボ 代表取締役社長 近藤 知之氏(右)。トンボの本社応接室にて

創業140周年。最良のユニフォームメーカーを志すファーストコールカンパニー

140年の歴史を有し、学生服ブランドのトップポジションを確立しているトンボ。時代とマーケットの激変を乗り越え、常に未来を見据えてニッチ業界を生き抜いてきた「変化の経営」について、代表取締役社長の近藤知之氏に聞いた。



足袋から学生服へ時代の変化にいち早く着眼

若松 2016年5月に創業140周年を迎えられますことを、心よりお喜び申し上げます。トンボは「非同族、未上場で140年の歴史を持つ中堅企業」であり、独自性の高い経営モデルをお持ちです。あらためて創業時のお話を伺えますか。

近藤 トンボの発祥の地である岡山県の児島・玉野地区は、もともと児島湾の干拓事業でできた土地です。塩害が強いので綿業が発達しました。その中で当時、日本は和装文化だったので、足袋の製造販売を1876年にスタートしました。

若松 祖業は足袋だったのですね。私はコンサルティング経験から、「祖業だけを続けている100年企業の比率は20%」と分析しています。現在の主力製品である学生服を手掛け始めたきっかけは何ですか。

近藤 1923年の関東大震災発生後、現地は衣料品不足で困っているだろうと、初代社長の三宅保正が足袋を売りにはるばる東京へ行きました。売れるには売れたものの、程なくして欧米から次々と届いた救援物資のほとんどが洋服。その様子を目の当たりにした初代は、「日本の和装文化はもう終わりだ」と強く感じたそうです。これからは洋服を主力にしなければならないと考えた末、たどり着いたのが学生服でした。当時の国情として、軍服をもとにした制服が大学などに広がりつつあったことも一因だったようです。

若松 初代社長は、「和装の一部だけでは市場がなくなり、会社もなくなる」と直感で時代を認識されたのだと拝察します。変化への着眼が的確だったのですね。日本の学生服は、他国と比べてどのような違いがあるのでしょうか。

近藤 学生服の先進国は英国なのですが、名門校と一般校で価格や品質、販売チャネルに大きな差があります。一方、日本は公立・私立を問わず同等の品質・価格の学生服が当たり前で、しかも素材や縫製が高品質、デザインが良いものでなければ受け入れられません。そんなマーケットになっているのは、世界中を見渡しても日本だけです。

若松 学生服というのは、お国柄や文化を色濃く表すものなのですね。

近藤 その通りです。ですから当社は、少子化が進んで市場規模が縮小傾向にあるとはいえ、100年以上続く学生服文化を次世代へ確実に継承していくことが最大の使命だと考えています。

若松 2015年、トンボは英国と学生服文化を相互に高め合う大きなイベントを開催されました。どのような内容だったのですか。

近藤 5月10日から1年にわたる創業140周年記念事業「トンボ140thアニバーサリーマーチャンダイジングプロジェクト」の一環として、英国王室にタータンを提供しているスコットランドの名門企業・ロキャロン社とコラボレーションしたオリジナルのコーポレートタータンを、東京・千代田区の駐日英国大使館にて発表しました。ロキャロン社と当社は1997年から提携しており、現在では国内の小中高校を合わせて100校近く、約3万人の生徒さんにタータン柄の制服を着用いただいています。今後一層の普及を図る上で、とても有意義なイベントでした。

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東京の駐日英国大使館で「トンボ140th アニバーサリータータン」を発 表(2015年5月15日)。左から、ロキャロン社のチーフデザイナー、ドーン・ロブソン=ベル氏とトンボの近藤氏


全事業のナンバーワンブランド戦略を加速

若松 創業130周年時(2006年)、社名を「テイコク」から「トンボ」へ変更するという、一大変革をしました。歴史ある企業としてはなかなか決断できないことです。それによって、ブランドに対する考え方も一気に深まったように感じます。

近藤 学生服におけるトンボブランドは既に広く認知されていたので、当時の取締役会で社名をトンボにしてもよいだろうという結論に至りました。これにより社会的な知名度アップに成功するとともに、社内でインナーブランディング活動にも注力した結果、飛躍的に業績が向上しました。

若松 製品ブランドと企業ブランドの統一により、学生服業界で揺るぎない地位を確立されたわけですね。その技術力とブランド力で、スポーツウエア事業やヘルスケアウエア事業も展開されています。これらの事業はどのような経緯で開始されたのですか。

近藤 スポーツウエアを始める転機になったのは1964年の東京オリンピックです。日本選手団がブレザーやジャージを着用したことで、大学生を中心に詰襟学生服からカジュアルな服装へトレンドが一変。当時、岡山県全体で1000万着の出荷があった詰襟学生服が数年のうちに4割まで激減し、転業を図る同業者が続出しました。そうした会社が国産ジーンズを生産し始めたのもこの頃で、当社も時流に乗り遅れてはいけないと、創業100周年の1976年にカジュアルブランドを立ち上げました。そこから派生したスポーツウエア事業が今日まで続いています。

若松 東京オリンピックは日本にとって大きな変化。この時代認識からスポーツウエアという事業領域(ドメイン)が加わったわけですから、先の足袋から学生服へという広がりに似ています。学生服ではトップシェアを確保されていますが、スポーツウエア事業はどのような状況ですか。

近藤 学校向けスポーツウエアの事業領域では、当社はまだ6、7番手くらいのポジション。これを何とか3位以上に引き上げたいと、さまざまな方策を練っています。

若松 全ての事業領域でファーストコールである(顧客から一番に選ばれる)ことが、トンボの戦略テーマでもあります。具体的に、どのような戦術を考えておられるのでしょうか。

近藤 「VICTORY」というロゴマークのリニューアル、有名選手を起用したCM展開や大々的な展示会の開催など、近いうちに集中的なプロモーションを行う予定です。2020年には次の東京オリンピック・パラリンピックも開催されますので、スポーツ文化全体の振興を視野に入れた、多角的な取り組みを通じてブランド力の強化を図っていくつもりです。

若松 次の東京オリンピック・パラリンピックが新たな事業領域をもたらす可能性は高いでしょう。スポーツ人口の増加や人気の高まりとともに新たな価値が創造されるはずです。そこにフォーカスし、セグメンテーションすることでファーストコールは実現可能ですし、チャンスがあるとも感じます。もう1つの事業の柱である、ヘルスケアウエア事業についてお聞かせください。

近藤 ヘルスケアウエアでは、業界先駆のメリットを生かし、介護職員のユニフォームでシェアナンバーワンを確保しています。しかし、後発競合の攻勢が激しくなっているので、勝ち残るために新たな付加価値を模索しているところです。例えば、リネン会社と協力して患者着のICT化を探ったり、理学療法士や薬剤師など職種に特化したウエア開発を進めたりしているほか、料理研究家の栗原はるみさんとタイアップして、ハイセンスかつ機能性に富んだ介護ユニフォームもつくり始めています。

若松 ファーストコールカンパニーはセグメンテーション戦略がうまいことが条件。職員のユニフォームという「勝てる土俵」を創出することがセグメンテーション戦略です。他にもペット用介護ウエアという領域の事業を開発されました。

近藤 「With」というブランドで、老犬の歩行を補助するハーネス『LaLaWalk』を発売しました。現在は、インターネット通販と動物病院の紹介チャネルを中心にビジネスを行っています。海外展開できる商品として、この分野も研究を深めます。

若松 時代の変化を捉え、その変化をチャンスに自らも変化する経営。140年の歴史は、変化の歴史でもあると感じます。140周年を迎えた今だからこそ、そのスピリッツを組織で育ててください。

㈱トンボ 代表取締役社長 近藤 知之(こんどう ともゆき)氏
(株)トンボ 代表取締役社長
近藤 知之(こんどう ともゆき)氏
1955年7月岡山県真庭郡勝山町山久世(現真庭市山久世)生まれ。勝山町立城北小学校、同勝山中学校、金光学園高校、80年中央大学文学部卒業。同年テイコク(現トンボ)入社。99年営業統括本部販売統括部長、2001年取締役営業統括第一営業本部長、03年常務取締役、10年専務取締役を経て、12年9月代表取締役社長に就任。


最良の人材が最良の価値を生み出す

若松 学生服、スポーツウエア、ヘルスケアウエアという3つの主力事業を着実に発展させるのは組織と人材です。商品開発や技術伝承の面で、その力をどう維持・伸長しようとお考えですか。

近藤 一番は優秀な人材の確保です。例えば、当社では2008年ごろ、生産工場での技術伝承が難しくなりました。原因は、国内の人材不足により、海外からの就労者を増やしたことでした。彼・彼女らは3年ほどで母国に帰ってしまい、工場に技術が定着しなかったのです。そこで考え方を改め、家政科や被服科出身の日本の高校生を対象にした採用活動を強化しつつ、総合職の社員と同等の教育を行う機会を増やしました。するとモチベーションが上がって社員が定着し、縫製や段取りの仕方など現場発で高品質・高効率な生産を可能にするさまざまなアイデアが出てくるまでになったのです。現在の当社は、そうした人材に支えられています。

若松 技術者としてのプロ意識の醸成に成功されたわけです。技術の伝承には、採用から教育にわたる人事制度の積極的な見直しが不可欠であり、進化させ続けることが重要です。

近藤 その後もインストラクター制度やマイスター制度をつくって熟練技術者の育成に力を注いでいます。今後は、より具体的に将来像を描いてもらえるよう、待遇面を踏まえた明確なキャリアステップを整備し、提示していこうと考えています。

若松 トンボは他のアパレル企業と異なり、安易に海外に工場を広げず、国内生産を大きな強みとしています。全社が「技術集団」になっている。そのモノづくりの力とノウハウを大いに発揮していただきたいと思います。


「衆知型全員経営」を軸に、常に「次代」を創造する組織

若松 経営幹部の育成を独自の方法で進めておられますね。タナベ経営が提唱するジュニアボードやビジョンボードもうまく活用されています。

近藤 役員候補者を育成するビジョンボードや、部課長を幹部候補に育てるジュニアボード、その登竜門となる幹部候補生スクールとも、タナベ経営との連携でうまく機能しています。当社は同族企業ではないので、そうしたステップで誰もが経営の中枢を目指せることを明示するのは、社員の経営能力の向上と会社の持続的成長に欠かせません。

若松 近藤社長や歴代の経営陣とディスカッションすると、次代、すなわち「次の世代の経営体制をどうするか」というテーマになることが多い。これは歴史ある会社の特徴です。事業承継は企業の最大の課題ですが、トンボが幾度もその節目を乗り切り、歴史を刻んでこられた秘訣は何でしょうか。

近藤 ひと言で表せば「衆知型全員経営」と言えるでしょう。当社は常に社員に対して「ガラス張りの経営」を心掛けてきました。私の代になってからも、悪いことほど優先的に社長へ報告するよう指示したり、若手社員との食事会を開いてコミュニケーションを深めたりしています。そうしたことを通じて、会社の現状と今後の方向性を互いに認識・議論し合うことが何より大事です。個人的に、社長業はワンサイクル3年と考えています。次の3カ年の経営計画は、2016年5月の140周年記念パーティーで全社員に発表する予定です。伝える骨子は、現在の年商250億円から300億円企業になるためにどうすべきか。私の代で終わることのない、先々を見据えた計画にしたいと考えています。

若松 CSR(企業の社会的責任)にも積極的ですね。子どもたちに「とんぼ」を描いて出品してもらう『「WE LOVEトンボ」絵画コンクール』も継続しておられます。何をするにしても、一度取り組むと継続されることがトンボの強みです。

近藤 同コンクールは2015年で第30回を迎え、1986年の第1回から累計で約254万点もの作品をご応募いただきました。トンボの文化事業の1つとして継続していきたいと考えています。

若松 10年後には、さらに大きな節目の150周年を迎えられます。英国の元首相ウィンストン・チャーチルの言葉に「過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡すことができるだろう」というものがあります。これからも歴史に学びながら、未来の歴史をつくり続け、200年企業へと持続的に成長されることを期待しています。「変化を経営する会社、トンボ」の未来がますます楽しみです。本日はありがとうございました。

(株)タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
(株)タナベ経営 代表取締役社長
若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。
関西学院大学大学院(経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。





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キャラクターを活用し、企業としての間口を開く

国内の鉄道信号システムでトップクラスのシェアを誇る日本信号。
キャラクター制作からグッズのデザイン・製作までを、タナベ経営がワンストップで支援した。



ころんとした愛らしい電車のキャラクター。一番人気はハンドタオルで、取引先の家族からも大好評だという。メモやボールペン、傘カバーなど、大人でも親しみを持って使えるグッズがそろう

インフラに携わる企業のため、一般には事業内容が伝わりにくいことが課題であった日本信号。
「自社の事業や特徴を、より多くのステークホルダーに知ってほしい」と電車のオリジナルキャラクターを生み出した。愛らしいキャラクターグッズは、鉄道の日(10月14日)を記念した同社主催のイベント「鉄道まつり」や展示会でも注目の的になった。
経営管理本部総務部の山本彩花氏、濱元拓哉氏、徳永暢子氏に、このプロモーションについて聞いた。


業界のリーディングカンパニーとして市場拡大に取り組む

1928年設立の日本信号は、安全と信頼のテクノロジーを通じて、より安心で快適な人間社会の実現に貢献することを目的に、今日まで日本の信号業界をリードしてきた。大きく交通運輸インフラ事業、ICTソリューション事業の2事業に分けられ、鉄道に使用される運行管理システムから道路などに設置される信号機、駅構内に設置される自動出改札機、コインパーキングの管理システムなどを開発・製造している。

さらに同社は新規事業も拡大。3D距離画像センサーを搭載した、道案内や利用者の質問に答える「駅業務支援ロボット」などを開発している。激変する社会状況に対応できるよう、既存事業の技術を応用した新規事業の開拓や、アジア地域を中心とした海外展開など、最新のテクノロジーを武器に市場拡大へも積極的に取り組んでいる。


「お堅い」企業イメージを柔らかく

キャラクターブームを背景に、自社のオリジナルキャラクターグッズをつくりたいという企業は多い。しかし、ノベルティーグッズは企業ロゴなどを使えば簡単に完成してしまうため、希望はあっても、結果的にキャラクターづくりにまで至らないケースも多い。キャラクターをつくれば、当然だがコストも掛かり、グッズ製作に要する時間も長くなるからだ。

一般消費者を対象にするBtoC企業が自社PRのためにキャラクターを制作することは多いものの、日本信号のようなBtoB企業が行うのは珍しい。同社にとって、キャラクターはどのような意味合いを持っているのだろうか。

「当社はインフラに携わる企業という堅いイメージがあるので、それを払拭したかったのです。今まで縁の下の力持ちのような存在でしたが、鉄道インフラを海外に輸出しようという政府の動きもあり、注目されることが増えました。そこでやわらかいキャラクターをつくってはどうかと考えました。最初は本当に単純な思い付きだったのです」

そう語るのは山本彩花氏だ。日本信号は、国内の信号メーカーとしてはトップクラスのシェアを誇っているため、鉄道関係者などには知られた存在だが、一般にはなじみが薄い。しかし、誰もが日々、鉄道や信号機を目にし、利用しているだろう。自社をより多くの人に知ってほしい、そんな思いが出発点にあった。

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日本信号(株) 山本 彩花 氏


最初は簡単なラフ画から始まった

山本氏は、パワーポイントを使って電車のキャラクター原案を描き、タナベ経営に相談を持ち掛けた。タナベ経営の営業担当者は早速それを持ち帰り、デザイナーがデザインを起案。「柔らかくて親しみやすいキャラクターを」という希望から、電車を擬人化した愛らしいキャラクターが誕生した。日本信号社内では、ノベルティーグッズを一新しようというタイミングだったこともあり、話はとんとん拍子に進んでいった。

さらに、日本信号はタナベ経営に、キャラクターの著作権の独占的利用許諾を求めた。思った以上に人気が出て、役員陣が注目。株主報告書や社内報にも登場させて、堅いイメージを払拭し、IRやCSR活動の一環として活用することが狙いだった。

今後は、キャラクターをうまく企業PRにつなげていきたいと考えている。

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日本信号(株) 濱元 拓哉 氏


キャラクターの余波は意外なところにも

タナベ経営のプランナーが打ち合わせに同席し、著作権譲渡の条件確認や、キャラクターの精度を上げるためのきめ細かい打ち合わせが重ねられた。最初はキャラクターが先に生まれ、その後ノベルティーグッズなどの展開を始めることが多いが、日本信号はノベルティーグッズ製作を展開する中でキャラクターが生まれた稀(まれ)なケースである。

埼玉県にある同社久喜事業所で開催する「鉄道まつり」や展示会などで来場者にグッズを配ると、すぐに反響があった。鉄道業界のクライアントからの評判も良く、キャラクターを持っている会社からはコラボレーションできるのではないかという話も出ているほどだ。

「以前にハンドタオルを差し上げた方のお子さんが、このタオルを気に入ってくれたみたいなんです。食事のときに使ってくださっているのですが、洗濯中などで手元にないと、『電車ちゃん、電車ちゃん』と泣き叫ぶんだそうです。『もう1枚いただけませんか』と言ってくださったときには、キャラクターが受け入れられたことを実感しました」と、山本氏はうれしそうに振り返る。

「当社の社員や、大人のお客さまに人気があるのは、カードホルダーやペンといった実用的なものです。お子さんに、そこまでハンドタオルを気に入ってもらえるとは思ってもみませんでした」と徳永暢子氏も笑顔だ。

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日本信号(株) 徳永 暢子 氏


クイックレスポンスが安心感につながる

「ノベルティーグッズ製作はタナベ経営以外にも依頼しているのですが、キャラクターができてからは『グッズ製作はタナベ経営に』という流れが確立されてきました。やはり、オリジナル性の高いものをつくることができる点が大きかった。単純な名入れやロゴ入れならどの会社でもできますが、キャラクターを生かしたさまざまなグッズを提案いただけたのが取引を継続しているポイントです。何よりもレスポンスが早いので、安心できました。試作品などもすぐに持って来てくださいました」と山本氏。

日本信号の業態は多岐にわたる。電車だけではなく、各事業部それぞれのキャラクターを持ちたいというのが次の目標だ。「今後も自分たちだけでは想像できないような、新しいグッズの提案を期待しています」(山本氏)

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キャラクター制作は、費用対効果などの面からなかなか実現に至らないことが多いのですが、今回はイベント用販売グッズという使用目的を決め、小さなステップから始めたのが功を奏しました。 BtoB企業でキャラクターを制作することは、一見効果が得にくいことのように感じますが、グッズ製作にとどまらず、Webや冊子、SNS、イベントなどあらゆる場面で使用できるため、親近感が高まり、ファンの裾野を広げられます。 今後も積極的に露出を増やし、社内外ともに認められる存在に仕上げていくことが重要ですので、引き続き協力させていただきたいと思います。



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