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今週のひとこと

未来のための投資を惜しんではいけない。
顧客創造、商品開発、人材開発に
先行投資しよう。

☆ 業績が良いから、新たなことに取り組める?!

 最近、経営者の方々とのディスカッションの中で、「未来を創造していく戦略リーダー人材が育っていない」という言葉をお聞きする機会が多くなってきました。確かに、経営者が「わが社には優秀な人材が数多くいます」とコメントされる企業は少ないのが事実ですが、そうした理由から、新たな取り組みを進めることができず、成長スピードを鈍化させている要因となっている企業が多いのも事実です。

 また、「余力があれば新規事業などに取り組みたい」ということもお聞きしますが、内部留保しておきたいという思いや、株主や社員にもっと還元したいと考える経営者もおられます。
 ここでお伝えしたいことは、業績が良いから、新しいことに取り組めているのではなく、新しいことに取り組んでいるから、業績が良いということです。
 ただし、そのためには、社内に戦略発想を持つ人材がどれだけいるかが大切です。

 新規事業などに取り組む際、「何をするか」が決まらなければスタートしませんが、「誰がするか」が成功の可否を決めると言っても過言ではありません。ある企業では社内プロジェクトを発足させる際、入念に人選を行なうと共に、戦略リーダー人材の育成のために、戦略発想を持った人材が育つ仕組みを経営システムに組み込んでいます。そうすることで、社内にも自立型社員を創出し、常に新しいことに取り組む風土を築いているのです。

企業は人なり。「優秀な人がいない、採用できない」と言う前に、どう育てるのかをじっくりと考えてみましょう。

経営コンサルティング本部
チーフコンサルタント
井上 禎也

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日本初の角膜コンタクトレンズを開発したメニコンは、20010年にサブスクリプション(定額制)の先駆けとなる「メルスプラン」の導入で、圧倒的国内シェアナンバーワンの地位を築いている。売上高766 億円、従業員3083名(いずれも連結)の東証1 部企業として市場をけん引し続けるメニコンの強さの秘密を、代表執行役社長の田中英成氏に伺った。

角膜コンタクトレンズを日本で初めて開発

若松 メニコンは日本で初めて角膜コンタクトレンズを開発したパイオニア企業であり、現在もトップ企業として国内市場をけん引されています。日本初の発明がどのような経緯で生み出されたのか、大変興味があります。

田中 愛知県葉栗郡木曽川町(現・一宮市)に生まれた創業者である父・田中恭一(現会長)は、国民学校高等科の時に学徒動員として特殊潜航艇のスクリューを製造する軍需工場で働くようになりました。当時は12歳か13歳の子どもですから、仕事は道具の出し入れや後片付けといったお手伝いが中心でしたが、偶然、技術員の付き人に任命された父は技術員から旋盤など工作機械の使用方法を教えてもらいました。もともと手先が器用でしたから上達が早く、工場では工作機械を使った作業もしていたようです。

 終戦後は竹彫工芸家である祖父の勧めで知り合いの「玉水屋眼鏡舗」に就職。父は接客業は不得手でしたが、自分でデザインした眼鏡を製作したところ、それが評判となってナンバーワンセールスになったそうです。その後、技術が認められて、弱冠17 歳で技術主任になりました。

若松 手先が器用で良いモノを作りたいという探求心がある。ものづくりに向いていらっしゃったのですね。ただ、当時の日本では眼鏡店であってもコンタクトレンズを目にする機会はなかったのではないでしょうか?

田中 文献などからコンタクトレンズの存在は知っていたようです。転機となったのは、在日米軍の病院から眼鏡を処方する専属ライセンスが父に与えられたこと。腕の良い職人がいるとの評判が伝わり、白羽の矢が立ったわけです。当時、名古屋には在日米軍とその家族が暮らしており、たくさんの外国人が玉水屋を訪れるようになりました。ある日、コンタクトレンズをお持ちのお客さまが来店され、父は「見せてほしい」とお願いしたものの、ついに実物を見ることはできなかったようです。それが、かえって父の開発魂に火を付けました。「アメリカ人に作れて、日本人に作れないはずはない」と奮起し、3 カ月で独自のコンタクトレンズ開発を成功させました。

運を味方に付けることが成功の秘訣

若松 見たことがないモノを作る苦労は計り知れません。眼鏡の知識をお持ちだったとはいえ、わずか3カ月で開発できたのは驚きですね。

田中 まずは目のスケッチを繰り返し、眼鏡のフレームに使われていた風防ガラスに目を付けて直径約11㎜のレンズを削り出しました。実は、当時は白目ごと覆う直径約20㎜のコンタクトレンズが研究されていましたが、実物を見たことがなかった父は黒目の上に乗せるレンズを製作。実際に、自分の黒目に乗せて確かめました。その後も研究を続け、父は「日本コンタクトレンズ研究所」を創設。コンタクトレンズの製造販売をスタートしました。

若松 技術者、眼鏡店の販売員、開発者。複数の視点を持っていたことが、画期的な商品開発につながったのでしょう。人生は遺伝、偶然、環境、意志の産物といいますが、ご家族、ご子息の立場から見て成功の要因はどこにあったとお考えでしょうか。

田中 父の強い好奇心と負けず嫌いの性格、もう一つ加えるなら運ですね。学徒動員で優秀な技術員の付き人になったことや眼鏡店に入社したこと、英語を話せなかった父が米軍の病院の試験にパスしたこと。どれをとっても運が良かったとしか言えません。さらに、専門的な知識がなかったことも成功要因だったのかもしれません。真っ白な状態だったから、黒目だけを覆うデザインが生まれたのではないでしょうか。この時の基本設計は、今のハードレンズとほとんど変わりません。

サブスクリプションの先駆け「メルスプラン」という戦略

若松 田中社長ご自身は眼科医でもあるとお聞きしています。眼科医としての視点が「患者は顧客」という思考、「顧客のために」という経営哲学につながっているのではないでしょうか。入社されたのはいつ頃ですか?

田中 医学部を卒業した1987 年に顧問という形で入社しましたが、実際は研修医を終了した後は5 年ほど眼科医として病院に勤務していました。眼科専門医の試験合格を機にメニコン直営店の併設眼科を開業。医院長に就任すると同時に、メニコンの取締役にも就任しましたが、バブル崩壊後で価格破壊の波が押し寄せており、非常に苦労しました。販売店では70%引き、80%引きが常態化しており、定価販売を基本とする直営店にお客さまはほとんど来ません。私自身、借金をして開業していましたし、会社の業績も悪化していました。

若松 当時はどの業界もひどいデフレに見舞われ、倒産する企業が相次いでいました。デフレ環境にどのように対応されたのでしょうか?

田中 ある日、「コンタクトレンズの調子が悪い」と1 人の患者さんが来院されました。他店でメニコンのレンズをご購入されたと聞いて確認すると、レンズは真っ白に汚れていて眼球に傷がついていました。レンズを洗浄してみると、実はメニコンのものではなく他社製品だったのですが、「メニコンと同じ製品」と説明されてご購入されたとのこと。そのように販売されてはメニコンのブランドに傷がつきますし、何よりお客さまの目の安全を確保できません。さらに、そのような状況が続けばコンタクトレンズに対する信頼が失われます。大きな危機感の中、考え抜いて思いついたのが定額制の「メルスプラン」でした。

若松 メルスプランは、一定料金を毎月払うことで定期的に新品のコンタクトレンズを受け取れるサービス。レンズが破損した場合は追加料金を払わずに新品に交換できたり、視力の変化や好みに合わせてレンズを交換できたりするのでエンドユーザーは安心です。加えて、販売店のメリットが大きいことも成長要因でしょう。実は、10 年ほど前に併設眼科を持つある眼鏡店のコンサルティングをしていた際、財務状況を見て目を疑いました。利益のほとんどがメルスプランの手数料だったからです。どのような仕組みなのか興味が湧いて詳しく研究しましたが、本当に良くできています。

田中 そのように言っていただけると光栄です。当時は、常に「どうしたらお客さまの目を守れるか」「会社を守れるか」「コンタクトレンズ業界を守れるか」ばかりを考えていましたが、ある時、「お金の流れを逆にしよう」と突然ひらめきました。それまでは、商品はメーカー、販売店、エンドユーザーへと川上から川下に、お金は川下から川上に流れるというのが当たり前でしたが、メニコンがエンドユーザーと直接契約を結べば安売りがなくなり利益が安定すると考えました。販売店にとっても、メルスプランがお客さまを集めてくれるだけでなく、人数に応じて決まった手数料が入るメリットがあります。さらに、安売りをしないので店の利益率が上がり、販売員の給与が上がってモチベーションが高くなるとサービスは向上します。これはエンドユーザーにとってもメリットですし、会員数の増加に結び付けば利益が増えて品質向上や商品開発へ向ける投資も増え、より良い商品をエンドユーザーへ届けられるようになります。つまり、メルスプランはメニコンと販売店とエンドユーザーの3 者がWin-Win-Win の関係で結ばれる、三方よしのビジネスモデルなのです。

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名古屋市内の老舗眼鏡店「玉水屋」時代の、メニコン創業者田中恭一氏と米軍将校夫人。
「コンタクトレンズを持っている」と言う夫人が現物を見せてくれることはなかった

【図表】 メニコン国内売上高の推移(単体)

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トランスフォーメーションはトップダウンで決断する

若松 眼科医として、多くの利用者であり患者であるエンドユーザーと接してこられた経験が、ライバル企業や他メーカーにとっては非常識な三方よしの戦略「メルスプラン」の開発につながったと感じます。とはいえ、このビジネスモデルはすぐに実行できたのでしょうか。

田中 すぐに社内にマーケティング部を設置しました。ところが、関係部署も賛成してくれたはずなのに、出来上がるのに3 年間かかりました。その時に、ビジネスモデルの変更はボトムアップでは実現できないことを痛感しました。実務を担当していた古参役員はそれまでの成功体験が邪魔になり、簡単にビジネスモデルを変えられません。私は、「社会状況から見て、メルスプランを実行しなければ5 年以内に倒産する」と父を説得して社長交代を願い出ました。父は「好きにしていい」と任せてくれた上、幹部メンバーも新しい布陣としました。私は2000 年に代表取締役社長に就任。そこからトップダウンでメルスプランを推進していきました。

若松 メルスプランの導入は第2創業と言える決断です。このままだと5年以内に倒産するかもしれない危機感から始まったビジネスモデル転換はある種の創業です。事業承継期と重なっていたところが面白いですね。メルスプランを推進する過程のどのあたりで成功を確信されましたか。

田中 2001年に直営店から導入すると、お客さまが「メルスプランは良いですね」と声を掛けてくださいました。その言葉が現場の社員の自信になっているのを見て、私は成功を確信しました。その後、直営店の話を聞いた得意先が取り扱うようになり、日に日に販売店が広がっていきました。現在も会員数は伸び続けており、すでに130 万人のお客さまにご利用いただいています。

若松 いまは、スマートフォンをはじめ、衣料品や自動車に至るまで、最近はさまざまな領域でサブスクリプション(定額制)の料金プランが用意されています。メニコンの創業はコンタクトレンズの開発でパイオニアであり、第2 創業ではコンタクトレンズの販売スタイルのパイオニアになられたわけですね。メルスプランは、こうしたサブスクリプションをずいぶん前から取り入れていたわけですね。

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当たり前のこと、誰も疑っていないことに気付けるかどうか

イノベーションの原点は常識を疑えるかにある

若松 メルスプランが登場して約20 年が経過しようとしています。今後の展開についてはどのようなビジョンをお持ちですか?

田中 商品バリエーションが豊富で顧客満足度も高いメルスプランは、最強の守りの戦略です。国内にコンタクトレンズの販売店は約8000店舗ありますが、グループ会社の販売店が160、メルスプラン加盟施設が約1600 店舗あり、会員は今も増加傾向にあります。今後もエンドユーザーの視点から商品やサービスの質を高めながら、より多くのお客さまのご要望にお応えしていく考えです。

若松 メルスプランによってライバルからの参入障壁が非常に高くなったわけですから、最強の守りの戦略と言えますね。攻めの戦略についてはいかがでしょうか。

田中 一つは、新しいマーケットの開拓。例えば、コンタクトレンズを使った近視抑制のマーケットは世界的にも注目されていますし、夜間だけ装着すると昼間は裸眼で過ごせるオルソケラトロジーはマーケットが認知されつつあり可能性を感じています。さらに遠近両用コンタクトレンズのマーケットは今後の拡大が期待されています。

若松 海外にも展開されていますが、世界市場についてはどのような戦略で挑まれているのでしょうか。

田中 1 日使い捨てタイプの「1DAY(ワンデー)」は、世界に向けて展開していきたいと考えています。最大のセールスポイントは「スマートタッチ」。開封するとレンズの凸面が上を向くため、目に直接当たる内面を触ることなく装着できて清潔です。製造工程から考えると多くの課題がありましたが、エンドユーザーの視点から清潔に使っていただくことを優先して、開発を進めてきました。大事なことは、常識を疑ってみること。それまでの方法を常識だと思い込めば、新しい発想は出ませんし、作る側の常識が使う側にとっても常識であるとは限りません。当たり前のこと、誰も疑っていないことに気付けるかどうか。ここにイノベーションを起こす原点があると思います。

若松 「全ては顧客のために」の本質を追究して、誰も疑わないことや業界の非常識を常識に変えることがメニコンの強さの秘訣ですね。そして、これからもこのスピリッツを継承することが大切です。今回の対談を通してイノベーティブな製品開発や既成概念を超える販売手法を生み出した原点に触れられたような気がします。本日は示唆に富んだお話をありがとうございました。

㈱メニコン 代表執行役社長 田中 英成(たなか ひでなり)氏
日本初の角膜コンタクトレンズを開発したメニコンの創業者である田中恭一 会長の長男。眼科医を経て1994 年株式会社メニコンの取締役、2000年、代表取締役社長に就任。日本初・世界初となる商品を発表するとともに、業界内世界初の定額制会員販売システム「メルスプラン」を発案し、130 万人を超える会員を擁する規模にまで育て上げる。2010 年6月からは、メニコンを従来の監査役会設置会社から中部圏初となる「指名委員会等設置会社」に移行させ、取締役代表執行役に就任。「メニコンカップ」や「メニコンスーパーコンサート」への協賛などスポーツ文化支援活動にも積極的に貢献を果たしている。2018年春の褒章にて「藍綬褒章」を受章。

タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。関西学院大学大学院(経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。

PROFILE

  • ㈱メニコン
  • 所在地:愛知県名古屋市中区葵3-21-19
  • 創業:1951年
  • 売上高 : 766億7200万円(連結、2018年3月期)
  • 従業員数 : 3083名(連結、2018年3月末現在)

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外新規開拓受難時代

 こんなデータがある。法人営業社員に「最も苦痛なことは何か」を聞いたところ、1位が「新規見込み客への飛び込み営業」、2位が「新規見込み客へのテレアポ」で、"新規開拓"が上位を占めた。また「目標達成の課題は何か」を聞くと、1位が「新規見込み客の獲得」、2位が「見込み客へのアプローチ方法」だった(イノベーション調べ、2015年)。つまりBtoB(企業間取引)の営業社員の多くは新規開拓に課題を抱えているが、見込み客獲得のための最適なアプローチが分からず、苦痛を感じているということになる。

 今はインターネットで情報を容易に入手できるため、売り込まれる側にすれば営業担当者が来て説明するというプロセスは不要となりつつある。よって従来の営業活動だけでは見込み客の開拓や購買意思決定に影響を与えることが難しくなっている。

 一方、営業活動で重要性が高まっているのがWebの活用だ。従来の営業活動を強化するより、いかにWeb上で自社の商品・サービスを見つけてもらい、必要と認識してもらうかに注力する方が売り上げ拡大の近道になる。

 そこで本稿では、BtoB営業でのWeb活用について述べていきたい。

事業戦略からWeb活用戦略への落とし込み

 事業の本質は「誰に」「何を」提供するのかで決まる。このプロセスの中で、Webが担う「ターゲット」と「提供価値」を明確にすることがWeb戦略の設計において最重要となる。この2点について、マーケティングの格言「ドリルを買う人が欲しいのはドリルではなく、穴である」に置き換えてお伝えしたい。

 まず、ターゲットのポイントは「絞り込み」である。例えば、「穴を開ける手段としてドリルを探しているクライアント」か、もしくは「穴を開ける手段を探しているクライアント」か。前者をターゲットに設定する場合は、競合他社が扱うドリルとの差別化要素を訴求する必要がある。一方、後者の場合は、まずドリルという手段を認知してもらわねばならない。このように、ターゲットによって取るべきWeb戦略は変わってくる。

 次に提供価値については、前述した設定ターゲットに対し、本質的な価値を訴求することだ。ドリルをPRするWebサイトで最も訴求すべきは、ドリルの商品写真ではない。他社製品に比べてどれほど使いやすいか、あるいはどんな形状の穴が開けられるか、などである。

 BtoBにおいては、見込み客発掘から成約までの全てのフローをWebで担えるケースは少ない。また、営業手法が企業によって違うように、Web活用方法も企業によって異なる。競合他社の状況や市場・商品特性を鑑み、フローのどの部分をWebに担わせるか、自社に合ったWeb戦略を検討していただきたい。

Web活用における注意点


次に、Web活用の推進に当たって、注意点を3点お伝えしたい。

【図表】BtoBビジネスにおける見込み顧客獲得型のWeb活用フロー(例)

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(1)営業活動とのシナジー

BtoBにおける見込み客獲得型のWeb活用フローを示したものが右上の【図表】である。この場合、Webが担う役割は潜在的に眠っている顧客を顕在化させることだ。顕在化させることがゴールのため、当然、Webだけでは売り上げという成果に結び付かない。顕在化された顧客を営業担当者がフォローアップし、成果につなげる必要がある。

よって、営業担当者がWeb活用の取り組みをしっかりと理解し、Webから得た見込み客であることを認識した上で、営業活動を行っていく。Webのコンテンツ開発段階においては、見込み客に近いクライアントと接点を持つ営業担当者の意見を反映させるなどの連携も考えられる。

顧客創造活動の全てをWebに担わせるのは難しい。従って、成功の鍵を握るのは従来の営業活動とのシナジー(相乗効果)をどこまで発揮できるかということになる。Web活用を一連の営業活動の一端を担う位置付けと捉え、Web担当者と営業担当者が協同することが重要だ。

(2)経営課題として取り組む

Web活用がうまくいってない企業を見ていると、その原因の多くは、経営陣のWeb活用に対する理解の不足にあると言っていい。経営資源を配分しない、Web活用を前提とした評価体制が整っていないなど、経営レベルでWeb活用を捉えきれていない。BtoBでは、BtoC(企業対消費者間取引)のようにWebと売り上げが直結しないだけに、どうしてもWeb活用が軽視されがちである。

経営陣がWeb活用の重要性を経営課題として認識し、Webの可能性と難易度を把握する必要がある。その理解をもってリーダーシップを発揮し、部門最適ではなく全社最適としてWeb活用を推進する土壌を整えていただきたい。

(3)PDCAを継続させる

Web施策の一つの特徴に「効果測定性」が挙げられる。一般に普及している解析ツールで、ユーザーのWeb上の動きを可視化することができるのだ。例えば、自社のホームページにどういった属性のユーザーが、何をきっかけに来訪し、ホームページ上をどのように動いたかが高い精度で把握できる。この特性を最大限に活用することが、Web施策の成功可否を握る。

「ホームページをリニューアルした。当社はWebを活用済みだ」と話す経営者も見掛けるが、"Web活用"とはそういうことではない。定期的にユーザーのWeb上の行動を検証し、適宜、対策を打っていくPDCAを継続させることが欠かせない。Web活用の成功は、PDCAを継続して回せる体制が構築できるかどうかという、組織面での取り組みも重要なのだ。

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  • タナベ経営
  • SP コンサルティング本部
    部長代理
  • 木ノ下 哲也
  • Tetsuya Kinoshita
  • 顧客の成長に向けたプロモーション戦略構築~具体的施策展開までを、幅広く担当。特に、プロモーショナルマーケティング・Webプロモーションでのコンサルティングを得意とする。クライアントの視点に立った真摯なコンサルティングが高い評価を得ている。
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    担当:タナベコンサルティング 戦略総合研究所