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100年先も一番に
選ばれる会社へ、「決断」を。
【対談】

100年経営対談

注目企業のトップや有識者と、タナベコンサルティンググループの社長・若松孝彦が「100年経営」をテーマに対談。未来へ向けた企業の在るべき姿を描きます。
対談2020.02.28

Sweets Innovation Company。お菓子で世界中の人を幸せにする会社:マスダック 代表取締役社長 増田 文治氏 × タナベコンサルティング 若松 孝彦

 

 

 

 

 

“デパ地下”に並ぶ多種多様なスイーツや全国に知れ渡る土産菓子。そうした全国の人気菓子を陰で支えるのが、製菓機械のトップランナー・マスダックグループだ。創業以来、「はじめに菓子ありき」の精神を貫く同社は、世界へと活躍の場を広げながら菓子業界にイノベーションを起こし続けている。

 

 

菓子でみんなを幸せに世界初の開発に挑戦

 

若松 2017年、マスダックグループは創業60周年を迎えられました。創業者・増田文彦ファウンダーの頃からの当社との長いご縁に感謝いたします。

 

今では持ち株会社である「マスダック」を中心に、製菓機械の開発・製造やメンテナンスを行う「マスダックマシナリー」、菓子製造を担う「マスダック東京ばな奈ファクトリー」によるグループ経営を展開され、売上高は137億円(グループ計、2019年3月期)に上ります。機械は日本の得意分野ですが、中でも製パン・製菓分野に着目された点が非常にユニークです。

 

増田 創業者である父・増田文彦は、若い頃に九州大学で機械工学を専攻し、航空機設計を志していました。しかし、終戦を迎えた日本でその夢はかなわず、叔父(増田顕邦氏)から紹介された東京の印刷工場に勤務。その頃、偶然に再会した旧友から頼まれ、まんじゅう製造機の開発を手伝いました。それが菓子製造機との出合いでした。

 

機械が完成して実演販売をすると、みんな幸せそうな顔でまんじゅうを頬張っている。その姿を目の当たりにした父は、「菓子はこんなに人を幸せにするのか!」と衝撃を受けたそうです。そして、この出来事をきっかけに印刷工場を辞め、製菓機械の開発を仕事にしました。

 

若松 創業から受け継がれる「はじめに菓子ありき」の精神は、この経験から生まれたのですね。印刷工場を辞め、菓子機械の開発に取り組んだのもユニークです。当時はまだ和菓子を製造する機械が世の中になかった時代。そこへ挑戦されたところに、技術者としての矜持を感じます。ちょうど菓子の需要が急速に拡大する時期でもあり、時代の流れにも合っていました。

 

製パン分野に進出されたのも同じ頃でしょうか。

 

増田 ある製菓関係者から、「これからはパン業界も菓子パンが一つの柱になる」と聞いた父は、叔父の勧めもあって1957年にあんパン製造機を開発。製品化には至りませんでしたが、「面白い技術者がいる」と評判が広がり、製パン・製菓メーカーから相次いで相談が寄せられるようになりました。

 

その一つが、東横食品工業(現サンジェルマン)から依頼された「桜餅製造機」。この時、父が新たに考案した赤外線を用いた製法は、後に当社の主力となる「自動どら焼機」にも採用される画期的な発明となりました。

 

 

出所:マスダックグループ会社案内

 

 

 

2018年12月に竣工したマスダックマシナリーの入間工場。オーブン、充填成型機、直焼焼成機などを製造する

 

 

機械開発、保守メンテ、菓子製造の三位一体戦略で飛躍

 

若松 文彦ファウンダーの発想は、無から有を生み出す発明家的な要素が非常に強い。高い独創性も感じます。技術力と開発力を重視する今の社風にも通じています。

 

増田 父は根っからの技術者でしたから、人のまねはしたくないという気持ちが強かったのでしょうね。一方で、「はじめに菓子ありき」というポリシーも大事にしていました。

 

その好例が1975年に開発した「アルミフーズ」です。バターケーキの材料とジャムなどを薄いアルミ箔に包んでオーブンで焼いた菓子で、焼き上がりまで外気に触れないため生地はしっとりと柔らかく、消費者が開封するまで誰の手にも触れられず衛生的。当社が菓子作りから手掛けた最初の商品であり、多くの菓子メーカーが採用して大ヒットしました。

 

経営面で言えば、食品事業に進出したことで菓子に関するノウハウが蓄積され、菓子の製造を請け負うOEM(相手先ブランド名製造)事業が拡大。安定収入の確保につながりました。

 

若松 単発受注スタイルが基本の開発型企業の課題は、経営が不安定なところです。1台納めればそれで終わりとは言いませんが、どうしても次は新規開拓になる。ある程度の規模に成長したら、安定した事業の柱を複数持つことが事業を持続させる必須条件です。それがOEMであり、保守メンテナンスという新しい柱だったのですね。

 

増田 おっしゃる通りです。機械は受注額が大きいものの一度納入すると、数年から十数年は次の受注がありません。一方、菓子メーカーにとって新商品に対する設備投資は大きな負担。売れ続ければ投資を回収できますが、数年で売り上げが落ちるリスクも当然あります。食品事業は取引先と当社の両方にメリットがある事業でした。

 

機械事業とメンテナンス事業、そこに食品事業を加えることで経営の安定化を目指す戦略。父はこれを「三位一体戦略」と呼んでいましたが、おそらく田辺昇一氏(タナベ経営創業者)から教えていただいたのではないでしょうか。

 

その後、1991年にグレープストーンさんと共同開発した『東京ばな奈「見ぃつけたっ」』のヒットによって、食品事業は機械事業と並ぶ事業の柱へと成長しました。

 

若松 一般的に、開発型企業は下請けから成長するとOEMを行う会社と自社ブランドを立ち上げる会社に分かれます。開発型企業でありながらOEM生産と自社ブランド商品の両方を持つマスダックは、非常に珍しいタイプ。経営スタイルにも独創性があります。

 

これまで数多くの開発型企業をコンサルティングしてきましたが、生き残るのは至難の業です。しかし、マスダックは「社長<事業<会社」という「寿命の方程式」をクリアされています。「はじめに菓子ありき」「菓子を食べたときのお客さまの喜ぶ顔ありき」という戦略ポリシーが、マスダックの三位一体戦略を成功に導いたのでしょうね。

 

 

 

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