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【対談】

チームコンサルティング対談

クライアント企業などとタナベコンサルティンググループのプロフェッショナル・コンサルチームによる経営対談。企業成長の施策と成果を紹介します。
対談2019.12.16

ダイワハイテックス:書店と通販をターゲットにお客さまに喜ばれるモノづくりを次代へ

 

生産・開発部門を集約した新社屋「テクニカルセンター D-Labo(ディーラボ)」

生産・開発部門を集約した新社屋「テクニカルセンター D-Labo(ディーラボ)」

 

コミック包装機を開発して全国の書店に普及させ、新マーケットを創出したダイワハイテックス。
そのノウハウを生かして通販を中心とした物流業界へ進出し、業績を伸ばしている。
2019年1月に事業を承継した新社長は「どうやったらお客さまに喜ばれるか」を追求し、100年企業を目指す。

 

 

コミック包装という新市場を創出

 

大嶺 今では書店に並ぶコミックや雑誌などは、ビニールで包装されているのが当たり前になりました。その常識を生み出したのが、ダイワハイテックスです。コミック包装機「コミックシュリンカー」を開発し、全国の書店へ普及させて新マーケットを確立。業界でのシェアは90%を誇っています。

 

大石孝一会長は何の事業をするか決めず会社を起こされたと聞いていますが、創業当時の状況も含めてこれまでの歩みをお聞かせください。

 

大石(孝) 1978年に創業しました。前職で複写機の営業をやっていたので、「モノがあったら売れる」程度の感覚でしたね(笑)。

 

最初に手掛けたのが、知人が紹介してくれた、ゆでた麺を包装する機械の営業です。次に、包装機の展示会で知り合った大手メーカーへホック(留め金)を包装する機械を販売して生計を立てていました。

 

その展示会に偶然、コミックを持った来場者が現れて、「これを包装できませんか?」と聞いてきたのです。「漫画本を包装したら売れないでしょう」と言うと、「いや、そんな時代がやって来る」との答えでした。しかし、当時は包装して売っている本なんて存在しませんから、訳が分かりません。その人はどの出展企業にも相手にされず、途方に暮れていたようで、私は「展示会が終わったら、話を聞きます」と約束し、後日、本人を訪ねました。

 

後で分かったのですが、その人は当時、日本で十指に入るといわれた東京・中野の書店の幹部でした。コミックを包装する理由は「これから漫画本が増える。すると立ち読みが増えて、店は迷惑だし商品も傷んでしまう」とのこと。クリーニングに出したワイシャツがビニール袋に入って返ってくるようになったのを思い出し、その包装機を作っているメーカーにコミックを包装できるように改造を依頼して、まず10台販売しました。それが書店との最初の取引でした。

 

大嶺 「包装されたコミックを売る」という非常識が、近い将来、常識に変わると会長は予感されたのですね。

 

大石(孝) 包装されたきれいな本をレジに持って行くお客さまの姿を目にした時、「これはいける」と思いました。コミックの包装に将来性を感じましたが、事業化するには機械の小型化や包装資材の改良などの課題が山積していました。

 

資材に関しては、シュリンク(収縮)するビニールフィルムの開発元に直談判して販売代理店を紹介してもらい、仕入れの算段が付きました。

 

機械については、作業現場となる書店の状況を考えると、コンパクトかつ100ボルトで動くことが求められます。ところが、包装機を扱うのは設備機械メーカーだから、小さな機械を作る発想が乏しく、こちらの要望を受け入れてくれません。

 

そこで、創業時に掲げた「メーカーになる」「自分で作ったモノを自分で売る」「人の下請けはしない」という志に基づいて、自分で書いた設計図を板金工場などに持ち込んで試作を繰り返し、なんとかコミックシュリンカーの1号機が完成。その後は、顧客の要望を聞き入れて改良改善を重ね、品質を向上させました。

 

世の中になかった機械を顧客の声に沿って成長させる作業は実に面白かったですね。その機械を営業車に15、16台積んで会社を出て、空になったら帰社する。北海道から沖縄まで、行商を何年もやりました。

 

 

ダイワハイテックス 取締役会長 大石 孝一氏 1949年東京都板橋区生まれ。大手商社勤務を経て、独自性のある機械メーカーを目指して28歳の時に大和包装機械を設立。ある書店との出会いからコミック包装という新たな市場を開拓。1995年、ダイワハイテックスに社名変更。機械メーカーでありながら資材も手掛ける両輪経営で事業を軌道に乗せていく。2019年1月、長男に事業を継承し、会長に就任。

ダイワハイテックス 取締役会長 大石 孝一氏
1949年東京都板橋区生まれ。大手商社勤務を経て、独自性のある機械メーカーを目指して28歳の時に大和包装機械を設立。ある書店との出会いからコミック包装という新たな市場を開拓。1995年、ダイワハイテックスに社名変更。機械メーカーでありながら資材も手掛ける両輪経営で事業を軌道に乗せていく。2019年1月、長男に事業を継承し、会長に就任。

 

「どうやったらお客さまに喜ばれるか」が発想の原点

 

大嶺 自社オリジナルのコミックシュリンカーのビジネスモデルについてお聞かせください。

 

大石(孝) それまで包装機のメーカーは資材にノータッチでした。資材会社は、展示会で包装機の特徴を確認し、売り先を紹介するといった“商社的な役割”を果たしていました。その見返りとして納品後の資材調達を請け負っていたのです。

 

しかし、私は自分で作ったモノを自分で売る方針ですから資材会社が関与する余地はありませんし、以前は複写機を営業していましたから機械と資材をセット販売する利点を熟知しています。たとえ廉価で機械を提供しても、資材を何年も提供すると元が取れるということです。

 

大嶺 お客さまは「機械を安く購入できた」と喜びますね。

 

大石(孝) その通り。「どうやったらお客さまに喜ばれるか」という思いが、常に私の行動の原点にあります。当時、書店は盛況で新店が次々にオープンし、開店準備のための人材確保に四苦八苦していました。そこで私は、機械を納品した後はコミックの包装を手伝うことにしました。普通のメーカーは「商品を納品したらさっさと帰ってこい」と言いますが、当社では「納品してもすぐに帰ってくるな。手伝ってこい」となるわけです。

 

包装を手伝っていると、本屋のオーナーが「また新店を出すから、手伝いに来てよ」と言ってくれます。それは機械を買ってくれるということ。こうやって信頼関係を築き、売り上げを伸ばしていきました。当社では書店のオープン時に手伝うサービスを「猫の手包装支援」と呼び、現在も続けています。

 

私は「機械を売るのではなく、買ってもらう仕組みを考えるのが仕事だ」と考えます。機械は目に見えるから、まねをするのは容易です。しかし、機械の売り方は見えないので、なかなかまねができません。売り方を工夫すると、参入障壁を築くこともできます。当社が圧倒的な業界シェアを維持しているのは、こうした取り組みの成果です。

 

大嶺 メンテナンスにも画期的な手法を取り入れていますね。

 

大石(孝) 当社の包装機を導入した書店は全国に点在するため、修理は深刻な課題でした。店のオープン時は無料で猫の手包装支援を行いますが、修理時は無料で出張できません。そんな折、ヤマト運輸が「宅急便」を始めるという情報が入り、素晴らしいアイデアがひらめきました。

 

まず、機械の寸法を宅急便の箱に入るサイズに変更して普及を図りました。そして故障の連絡が入ると、代替機を箱に入れて書店に送ります。到着したら、故障品を箱に入れ替えて送り返してもらい、修理期間中は代替機を使ってもらいます。修理が終わると機械を箱に入れて発送し、代替機を返却してもらうわけです。これだと会社にいながら何台でも修理できますから、効率と経費がまるで違います。

 

 

タナベ経営 経営コンサルティング本部 本部長代理 戦略コンサルタント 大嶺 正行 沖縄支社長、東北支社長を経て、2011年より東京本部へ。幅広い分野でのコンサルティング経験を生かし、コンサルティング・セミナー・各種講演の第一線でプレーイングマネジャーとして活躍している。経営者のパートナーとして、経営全般の高い視点からクライアントの経営判断を支援。成果に直結する実践的なコンサルティングを展開し、クライアントから厚い信頼を得ている。

タナベ経営 経営コンサルティング本部
本部長代理 戦略コンサルタント 大嶺 正行
沖縄支社長、東北支社長を経て、2011年より東京本部へ。幅広い分野でのコンサルティング経験を生かし、コンサルティング・セミナー・各種講演の第一線でプレーイングマネジャーとして活躍している。経営者のパートナーとして、経営全般の高い視点からクライアントの経営判断を支援。成果に直結する実践的なコンサルティングを展開し、クライアントから厚い信頼を得ている。

 

 

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