“社員と共につくる夢”を実現する組織経営へ
テック長沢 × タナベ経営

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2020年9月号

 

 

テック長沢本社工場

 

 

ここ10年で社員数が約10倍になるなど、急成長を遂げているのが新潟県柏崎市に本社を置くテック長沢だ。技術力+営業力でマーケットを広げる一方、人材育成と人事制度をリンクさせた仕組みを構築。多様な人材を生かす環境を整え、さらなる飛躍を目指す。

 

 

営業に注力し顧客を開拓 急成長を遂げる

 

森松 金属の切削・研削加工を得意とするテック長沢は、幅広い業界に向けて部品機械加工・組み立てを行っており、ここ10年で急成長を遂げられました。まずは創業の経緯からお聞かせいただけますか?

 

長澤 鉄工所で働いていた祖父・長澤信治が同僚と共に1963年に鉄工所を立ち上げたのが始まりです。1970年に有限会社長沢工業所へ組織変更した後、1983年に父・長澤信博が社長に就任。私が会社を継いだのが2011年、32歳のときでした。

 

森松 創業から57年目を迎えられますが、この間に商材や商圏の変化はありましたか?

 

長澤 創業から金属の削りをメインとしており、コア技術は変わっていません。ただ、商圏については、祖父と父の時代は仕事のほとんどが地元の大手企業からの依頼でしたが、現在は関東(神奈川県厚木市)や名古屋にも営業拠点を置くなど、全国に広がっています。

 

森松 特に、長澤社長が代表取締役に就任されて以降の成長ぶりには目を見張るものがあります。

 

長澤 私が入社した当時は全社員で17名という小さな鉄工所でしたが、おかげさまで現在はパート社員を含めて172名まで増えています。ただ、社長就任後に急に業績が伸びたというよりも、それまでの基礎や下地が成果として現れてきたのだと考えています。父の「現場にはまるな」という方針もあって、一通りの仕事を経験した後は新規開拓に力を入れてきました。それが今につながっているように思います。

 

森松 製造業でありながら「現場にはまるな」とは、面白い考え方です。

 

長澤 現場やものづくりにこだわり過ぎると外に出なくなり、お客さまを訪問できなくなると考えたのだと思います。ただ、当時は社内に営業部すらなかったため、何をすべきか考えながらホームページを自作したり、飛び込み営業をしたりと手探りで新規開拓をしていました。

 

特に2008年のリーマン・ショック後は何とか状況を変えようと奔走しました。お客さまも仕事が減って時間があったのでしょう。話を聞いてくださる会社が増える中、新しい技術やチャンスを求めるお客さまと出会えたことが、他社よりも早く業績を回復できた要因となりました。

 

森松 まさに、ピンチをチャンスに変えた好例です。

 

長澤 リーマン・ショックで仕事量が大幅に落ち込みましたが、仕事が広がるきっかけにもなりました。また、この期間に人材も強化できました。当時、他社が休業や人員削減を行う中、当社は社員を一人も削減せずに毎日勉強会を実施。社員を教育しながらいつでも操業できる体制を維持したため、仕事が戻った際にはいち早く事業を再開できました。さらに、他社が採用を控える中、優秀な人材が採用できたことも成長の支えとなっています。

 

森松 2020年は新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、現在も経済活動への影響を与えている状況です。

 

長澤 リーマン・ショックのときと比べると、2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻した直後は、誰も世界中に飛び火するとは予測していませんでした。一方、今回は世界中が危機意識を持っていたため、経済対策が逐次取られてきたという印象です。

 

経営者としては、置かれた状況の中でできることを最大限にやっていくほかに、手はないと考えています。今は何もしない方が良いといった意見もありますが、その間の遅れを数年後に取り返すことは非常に難しいだろう、というのが率直な気持ち。目先の体力も大事ですが、次に伸びるための準備期間として捉えることが重要と考えています。

 

 

 

自社開発製品「電動ねじゲージ」。これを使うことで、ねじ穴の検査時間短縮、判定基準の安定、作業性向上などにつながる

 

 

 

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